TAKURO(GLAY)のアマチュア時代を語る2/5

TAKURO(GLAY)の歴史2of5【タクローの音楽に持つ概念が凄すぎる。高校で2回目のバンドでTERUを誘う】

 

 ~~(この記事は、私のYouTubeトークの文字起こしです)

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GLAYは、高校時代からずっと続いているバンド

 

GLAYは高校時代から今もずっと続いているバンドです。 やはりそこが、普通のバンドと違いますよね。実際、TAKUROさんは「GLAYがなくなったら音楽をやめる」とおっしゃってます。 そこまでの覚悟があるからこそ、ここまで続いているんですね。

ただ、一時期、解散の危機がありました。 それは、2000年前後の話です。

GLAYのメンバーが、全員、「解散」を意識しはじめたそうです。

その頃ってGLAYはものすごく成功して一段落ついた頃じゃないですか。 だからもうやり尽くした感があって、 「そろそろ解散しようか」という話が出ました。

でも・・・

その危機を乗り越えて、 別に解散しなくてもいいんじゃないかみたいな話になって、 そこからはずっと続いてます。

GLAYがずっと続いている原因は 「仲間としての絆があるから」です。 TAKUROさんが「GLAYがなくなったら音楽をやめる」 と言ってるのは、 音楽よりもまず絆を大事にしているっていうことなんでしょうね。

 

 

TAKUROさんが音楽を考えるときに、大事にしていたものとは・・・

 

TAKUROさんは人間的にとても深い人です。

GLAYのドラムとして活躍されたAKIRAさんという方が書いた本(「BEAT of GLAY」があるんですけど、 それを読むとですね・・・TAKUROさんの思慮深さ、 リーダーシップ、絆を大切にするようなところ、 そんな部分がよくわかります。

また、TAKUROさんの著書(「胸懐」)には、 「音楽の要素として大事にしているものが、三つある」と書かれています。僕はそれ読んでほんとびっくりしました。

まず一つ目は「言葉」です。言葉が先に来るのがまず凄いですよね。 普通、「メロディ」って言っちゃいたくなるんですけどね。 TAKUROさんの中では、やっぱり言葉が大事なんですね。

二つ目が「メロディー」です。 で、問題はその次。なんなんだと思います?

音楽の三大要素としてよく言われるのは 「リズム」ですけれども、TAKUROさんの場合はリズムじゃないんですよ。 それは何か、というと・・・

 

 

 ~~(この記事は、私のYouTubeトークの文字起こしです)

 

「人の心」ということですね。 つまり、「言葉、メロディー、人の心」。これが音楽の三つの要素だっていうことですね。TAKUROさんのこの考えは、普通の人と根本から違いますよね。僕も音楽作ってますが、こんな風に考えないですよ。

曲を作っているときに、「人の心がどうのこうの」みたい考えてる暇ないなと、僕は思っちゃいます。TAKUROさんの曲の、どこか暖かい感じは その辺から来るんでしょうね。

たとえば、メロディーは、AI でも作っちゃいますよね。

しかしその点、「人の心」はAIには感じ取れません。 それは、やはり人間にしかできません。だからこそ、TAKUROさんが音楽の要素のひとつとして 「人の心」を大事にしているのは、とても本質をついたことだと言えますよね。

 

GLAY結成の経緯とは?

 

さて、GLAYはどうやって出来たかったっていうと・・・

TAKUROさんの友人にヒトシさんっていう方がいました。

小学生のときから高校までずっと友達でいた人です。そのヒトシさんがをベースとして、そしてTAKUROさんがギターとして。 そして、他のメンバーを探しはじめました。

で、ドラムを探しはじめたんですね。

そのときに、中学校が一緒だったTERUさんの名前があがったんです。 ヒトシさんが、「TERUがドラムをやっているらしいぞ」 という情報を入手したんです。

で、それをTAKUROさんに教えました。

TERUさんは当時、別の高校で聖飢魔Ⅱのコピーをやっていました。 聖飢魔Ⅱといえば、かなり高度な音楽ですから、 それなら、TERUのドラムの腕はいいのではないか、 ということで、TAKUROさんはTERUさんに電話をかけてみました。

 

 

 

TERUさんは、もともとスポーツ少年でした。でもスポーツよりもだんだん、音楽の方に興味が向いてきて、 ドラマーとして先輩のバンドで活躍していたんです。TERUさんにしてみれば、そのタイミングで、TAKUROさんから電話があった、というわけです。それに対しTERUさんは即答で「いいよ」と言ったそうです。

で、TAKUROさんは、TERUさんがあまりにも簡単に引き受けるんですごく心配になりました。だって、普通だったらやっぱりちょっと考えるじゃないですか。

 

 

TAKUROさんは、TERUさんがあまりにも簡単にバンド加入を引き受けるから、不安になった

 

TAKUROさんはTERUさんに 「マジでやるバンドだよ。真剣にやるバンドだよ」 と確認しましたけど、TERUさんはそれでも、

「いいよ、OK。」

という軽い反応だったようです。なのでますます、TAKUROさんは心配になったんですね。

でも実際にTERUさんと音あわせをしてみると、 TERUさんは真剣に練習をしてきていたんです。だから、TAKUROさんはとても安心しました。

実はTERUさんはバイトをして買った自分のドラムセットがありました。 しかも、ご両親は音楽をすることに理解を示していました。そういうこともあって、家でみっちり練習できたんですね。

 

難航したボーカル探し

 

さて、こうやって、GLAYはドラマーがTERUさんに決まりました。 次の問題は、ボーカルです。これはとても難航しました。 いい人が見つからなかったんです。

しかし、意外なところに適任者がいました。

そう、ドラムのTERUさんです。

というのも、TAKUROさんが作ったデモテープに、ある日、遊び半分でTERUさんが歌を入れたんです。で、 その歌にTAKUROさんがびっくりしたんですね。なので、

「ドラムやってる場合じゃないよ。ボーカルやってよ」

という話になりました。 そうやって、TERUさんがボーカルに決まったんです。

 

 

 

 

TAKUROさんは音楽に関して人生で2回驚いたことがあるとおっしゃってます。1回目はBOØWYのB・BLUEを聞いた時です。

そしてもう1回はこのTERUさんの歌声を聴いた時です。 それくらい、TERUさんの歌声に驚いたんですね。

 

HISASHIさんがGLAYに加入した

 

さて、そうやってメンバーがそろって、ライブを重ねました。 主に函館の「あうん堂」というライブスペースででライブを重ねました。

で、約1年後にHISASHIさんも加入しました。 HISASIさんは既に「蟻(アリ)」っていうバンドを組んでました。 ハードコアバンドです。GLAYとは全然違った系統のバンドなんですけど、TAKUROさんは思い切って誘ってみたということですね。

というのも、HISASHIさんは物凄く人気があって、かなりお客さんを集めていたんです。なので、そのお客さんをごっそりもらえるかもしれない、という狙いがあったということですね。

もちろん、HISASHIさんのギタースタイルに惚れたということも誘った理由のひとつです。

 

GLAYは函館のライブハウスシーンで大人気になった

 

函館はその当時すごくバンドが盛り上がっていました。いろんな学生バンドが お客さんを集めていたようです。

その中でも特にGLAYはかなり人気がありました。

それはTAKUROさんが集客ノウハウを持っていたからです。 はじめからノウハウを持ってたわけじゃありません。工夫しながら、 自然に構築しました。

たとえば、他のバンドを集めての対バンライブ。この企画がうまかったんです。GLAYが中心になってそういう企画をしました。 TAKUROさんは著書で例えで言ってたんですけど、 プライドとかK-1とかありますね。

ああいった格闘技の試合も、誰と誰が対戦するのか それでお客さんがたくさん入ったりするわけじゃないですか。

そういう「対決の構図」ってのを持ち込んで、 人気のある高校生バンドの誰々と、 一方でこっちでも人気がある誰々を 一緒に対決させてみるということをやっていたんです。

で、ついでにGLAYも出る そういったことで集客をしていったわけですね。そこでそのバンド目当てに集まったお客さんがGLAYを見て、 GLAYも好きになってGLAYのファンになっていくっていう。 そういう集客戦略ですね。

 

GLAYは、ライブで収益も得るようになる

 

函館では、GLAYはライブで収益も得ていました。 1回ライブする度に10万円ぐらい儲かっていたようです。 そのことで、ライブスペースのあうん堂のマスターに怒られたこともあったそうです。

でも、その反論をTAKUROさんは著書(「胸懐」)に書いてました。

ライブハウスのあうん堂にしてみれば 自分たちの知らないところで、勝手な値段付けられてチケットが売られたってことになります。それはスペースを貸す方としてはいい気分はしません。

でも、TAKUROさんにしてみれば、 儲けたお金は遊びに使うのではありません。バンドをさらに大きくしていくために使っていたのです。

つまりは、ちゃんとした理念に基づいて活動していたわけなので、 決してよこしまな考えで自分たち独自の集客をしていたわけではない、と。そんな反論をしていました。

このようなゴタゴタがありつつも、GLAYは函館でかなりの人気を得ました。

しかも、面白いことに・・・・・・

お客さんの中には、後にJUDY AND MARYのボーカルとして活躍される YUKIさんもいたようです。

で、YUKIさんが語った言葉によって、GLAYはちょっと危ない集客をしちゃいました。それは、次の記事にて書きますね。

次の記事に続きます!)

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