TAKURO(GLAY)のアマチュア時代を語る3/5

 

~~(この記事は、私のYouTubeトークの文字起こしです)

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「GLAYのTAKUROの歴史」の3回目です。

後にジュディマリのボーカルになる高校生のYUKIさんに、TAKUROさんが言われたこととは?

 

函館で大人気となったGLAY。

たくさんのお客さんがライブハウスに来ました。で、その中には、後にJUDY AND MARYのボーカルになるYUKIさんもいました。

で、TAKUROさんはYUKIさんにこんなことを言われたようです。
「あなたのバンド、うちの高校でとても人気あるよ」と。

その言葉に、TAKUROさんはとてもテンションが上がったそうです。YUKIさんは当時から可愛かったということですからね。

YUKIさんは女子高に通ってたということで、TAKUROさんとしては「そうか,、俺達って女子高でも人気あるんだ」と強気になって、YUKIさんの女子高に無断で入ってビラを貼ったこともあったそうです。

でも無断で入っちゃだめですよね汗

そんなこともありつつも、GLAYは函館では大人気で、150人くらいの動員がありました。バンド始めてからもほぼ短期間でここまでの動員を集めるわけですからすごいですよね。

 

 

GLAYは、いよいよ上京することになった

 

TAKUROさんは、GLAYの曲に自信を持っていました。「普通に町とかで流れてる曲より、自分らの方がいいんじゃないか」と考えていたようです。

なので「上京する」っていう流れになるのは当然のことですよね。

ですけど・・・

上京してからそう簡単にはいかなかったわけです。まずそもそも上京できないメンバーがいました。たとえばベースのヒトシさん。小学校の時からずっと友達だったヒトシさんは「上京しない」っていう結論を下したわけですね。

というのも、ヒトシさんだけは高校が高専だったわけです。つまり5年制の学校だったわけです。

それでは上京はできないですよね。

それでもTAKUROさんは「やっぱりヒトシ、一緒に東京行こうぜ」と説得しましたが、最終的にはヒトシさんのお母さんに、「あなたたちの夢には参加できない」と言われたそうです。

そうして、ヒトシさんが上京することはなくなりました。

ドラムはナカモトさんという人でしたが、この人も上京しないことにしました。地元で結婚することを決めていたことが理由です。

なので、上京したのはTAKUROさんとTERUさんとHISASHIさんです。

 

 

 

上京後、TAKUROさんとTERUさんは同じ職場の寮で暮らしはじめた

 

上京後、TAKUROさんは、TERUさんと一緒に住みました。というのも、TERUさんが就職を決めてきたんです。赤羽の印刷工場です。

寮もあるんでTAKUROさんを誘って、そこで一緒の寮に入って働く形になりました。

工場の人たちはとてもいい人たちだったようです。
「君たち、音楽やってるんだってね。がんばってね」と励まされたこともあったようです。

工場の人たちはみんな、バイクやオーディオなど、趣味を楽しんでいました。「俺のこのオーディオセットで、いつか君たちの曲をかけたいね」と暖かい言葉をかけられたりもしたそうです。

このように、人間関係はとてもいい職場でしたが・・・

肝心の「時間」が取れませんでした。仕事を終えて終えて帰った頃にはクタクタでとても音楽なんかできない環境でした。

なので、やむを得ず、まずTAKUROさんが辞めました。この職場にいたのは3ヶ月です。

その後、ペリカン便をやってみたり、ビデオ屋やってみたり、警備員やってみたり・・・いろいろやりましたが、どの職場でもTAKUROさんは、仕事に真面目に取り組んだそうです。

 

よく、何かの夢を追う人は、バイトは適当にやる人が多いんですけど、TAKUROさんを含め、GLAYのメンバーはそんなことはなかったようです。

夢を追うだけでなく、仕事もしっかりまじめにやる。その考えを大切にしていた、とTAKUROさんは著書(「胸懐」)で書かれています。

 

 

 

GLAYは状況後しばらく、苦労の日々が続いた

 

GLAYは、上京後しばらくは、苦労の連続でした。ライブをやりたくても・・・まずメンバーが集まらないという状況でした。

ちなみに・・・

TAKUROさんの著書では今のGLAYのメンバー以外の、元メンバーについてはほとんど触れられていません。

ですが・・・今はGLAYのメンバーではありませんが、アマチュアで苦労していた時代のメンバーには、AKIRAさん(ドラム)、シンゴさん(ベース)がいました。

もちろん、TAKUROさんはその二人に対して「特別な思い」はあると思います。苦労した時代をともにしたメンバーですからね。ちなみにドラムのAKIRAさんは、著書も出されています。そのAKIRAさんの著書(「Beat Of GLAY」)によると・・・

TAKUROさんは「熱い心」を持っているとのことです。なので・・・TAKUROさんは、やっぱりAKIRAさんやシンゴさんに対して「何も感情がない」わけはないんですよ。

 

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でも・・・

TAKUROさんの著書ではあまり出てこないんです。特にAKIRAさんは、存在が消されちゃってます。その理由を推察するに・・・

TAKUROさんは熱い心もあるんですけど、一方で仕事に対する真剣さがあります。そう考えた場合、やっぱり今の4人のメンバーでやってるわけですから・・・

4人ではないメンバーのことをあまり書くのは危険なことです。事務所的や、レコード会社的に。

「あんまり触れちゃいけないかな」というところがあるんでしょう。「特別な思い」はあるんだけども、ビジネスライクな面を優先させたということなのでしょう。

TAKUROさんのそういう性格は、AKIRAさんの著書でもよく書かれてます。

 

 

ちなみにAKIRAさんの著書、「Beat of GLAY」はすごく参考になりますよ。GLAYのメンバーの人間的なことがたくさん、書かれてます。メンバーの血と涙と汗のエピソードですね。それが面白いです。

でも・・・

TAKUROさんの著書(「胸懐」)ではそういうエピソードはやや抑えられてます。

 

 

 

 

ドラムのAKIRAさんがGLAYに加入した経緯とは?

 

さて、ドラムのAKIRAさん。どのようにしてGLAYに加入したかというと・・・

GLAYが上京してすぐに加入、というわけではありませんでした。

実はAKIRAさんが入る前、GLAYのドラマーは、何人も代わっていました。HISASHIさんがアルバイト先から連れてきたドラマーなどと一緒にやったようですね。でも、みんなすぐにやめてしまったようです。

ちなみに、Wikipediaに元ドラマーでISO(イソ)って人が出てきます。その人は「この当時、高校生であった」と書かれています。

つまりは・・・

GLAYは高校生のドラマーすら入れたわけです。高校生なので、技術的にも劣っていたことでしょう。でも、高校生のドラマーを入れなきゃいけないほど、GLAYはドラム不在問題に悩んだんです。

その高校生のドラマー、ISOさんとは結構長い間やったようですね。でも、やがてAKIRAさんに代わります。それは、こういう経緯です。

 

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ある日、原宿の歩行者天国でAKIRAさんが自分のバンドのライブに出ていました。その近くで、GLAYもライブをしていました。で、AKIRAさんはGLAYを見て「ぜひこのバンドに入りたい!」と思ったんです。

特にTERUさんの声にほれたようです。しかも、GLAYのドラムをよく見ると、技術がたいしたことがない。

「これは、交渉すれば自分がGLAYに入れるかもしれない」そう思ったんですね。

 

しかも、幸運なことに、AKIRAさんのバンドのスタッフが、GLAYのデモテープをたまたま持っていたのです。なので、AKIRAさんはデモテープを借りて、じっくりと聴いてみました。

そして、GLAYがすごいバンドであることをはっきりと確認しました、で、後に自分で直接、GLAYのライブに行ってメンバーに近寄っていって、
「加入したい」という話をしたんですね。

で、加入ということになったんです。高校生ドラマーのISOさんにはやめてもらうことにしました。

ISOさんの親には、TAKUROさんがだいぶ、文句を言われたそうです。
「高校生の息子をさんざん、バンド活動にふりまわしておいて、いきなりクビとは何事か」と。

もちろん、TAKUROさんとしても、喜んでクビにしたわけではありません。しかし、TAKUROさんはビジネスライクな面があることも事実です。

なので、ISOさんにやめてもらったのも、TAKUROさんのその思考からきた決断ということでしょう。そうやってAKIRAさんは加入しました。

 

 

ベースのシンゴさんは、函館の人

 

で、ベースのシンゴさん。

ベースはもともとJIROさんではなく、最初はこのシンゴさんって方でした。シンゴさんはTAKUROさんたちと同郷の人です。函館時代からTAKUROさんはずっと知ってる人なんですよ。しかも物凄く音楽的センスも良い。ドラムも叩けちゃうってことですから。

なので、一時期はシンゴさんがGLAYでドラム叩いてたっていうぐらいです。ドラムも叩けるしベースはうまいしってことで
音楽的にすごく優れた人だったわけです。

でも・・・

そのシンゴさんもやめてしまうことになりました。シンゴさんがGLAYをやめるときの様子は、まるで映画のワンシーンのようです。

それについては、次の記事で書きますね。

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