TAKURO(GLAY)のアマチュア時代を語る4/5

TAKURO(GLAY)の歴史4of5【オバQの格好でライブ。ちゃんちゃんこ着てライブ。新宿ロフトに出演決定!】

~~(この記事は、私のYouTubeトークの文字起こしです)

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才能あふれるベーシスト、シンゴの脱退

 

さて、GLAYのベーシスト、シンゴさん。 GLAYのアマチュア時代の初期を支えた人です。ベースはもちろん、ドラムも叩けるので、ドラム不在のピンチも救った人です。

ですが、途中でシンゴさんはやる気をなくしてしまったんです。 「生活を安定させて、彼女を幸せにしたい」と、 言い始めたようです。そして、バンドの練習に来なくなりました。

 

ベースのシンゴの気持ちを確かめに行ったTERUとAKIRA。映画のワンシーンのような場面

 

で、ある日。

TERUさんとAKIRAさん(ドラム)が一緒にシンゴさんの家に行きました。 バンドをやめるかどうかを確認するためです。

 

そのとき、シンゴさんは外出中でした。 なので、TERUさんとAKIRAさんは 近くのコンビニでカップラーメンを食べながら待ちました。そして、シンゴさんが帰宅してきました。

シンゴさんを見つけると、TERUさんとAKIRAさんは、シンゴさんに「バンドをやめるのか」と質問しました。

このときの様子は、AKIRAさんの著書(「Beat of GLAY」)で書かれています。 それは、まるで映画のワンシーンのようです。ドラマのセリフのやり取りのような言葉が、実際にかわされたようです。シンゴさんは、言いました。

「今は、彼女を大切にしたい」

と。これを聞いたAKIRAさんは、

「その言葉を聞いただけで十分だ。シンゴの気持ちがわかった」

と著書で述べています。

 

 

アマチュア時代のGLAYの、ほほえましい日常

 

他にも、ドラムのAKIRAさんの著書にはこんなことが書かれていましたね。

バーベキューをみんなでやったりとか・・・ AKIRAさんの家に行ってみんなでビールを飲んだりとか・・・。実はAKIRAさんはお父さんが市会議員をされている方なので、 付き合いでもらったビールがたくさんあったんです。

 

で、GLAYのメンバーが、それを目当てにしょっちゅうAKIRAさんの家に行ったんですね。

「今日もビール飲みに行こうぜ」って軽いノリだったそうです。

 

カニ缶事件

 

ある日、「カニ缶事件」ってのもあったそうです。AKIRAさんの家にカニの缶詰がありました。 TAKUROさんやTERUさんはそれを見て、

「これは懐かしい。北海道を思い出す」ってことで、その缶詰を食べちゃったんですね。

で、そのことでAKIRAさんのお母さんに怒られたそうです。まあ、そういった微笑ましいエピソードが、AKIRAさんの著書には満載です、

TAKUROさんの著書(「胸懐」)を読んでると 「辛い出来事が続いた」っていうことが書いているわけですけど、実は、そんな辛い日々の中でも、楽しい出来事はたくさんあったんですね。まさに青春ですよ。

 

 

GLAYがライブハウスで行った、いろいろな企画

 

さて・・・

GLAYはAKIRAさん(ドラム)が入ってきた頃からだんだんお客さんが増えてきました。元々、GLAYの東京初ライブは、お客さんは2人でした。 

そんな時代からは考えられないほど、 ライブハウスをいっぱいにするほどにGLAYは成長しました。

 

実際、GLAYは、お客さんを入れるためにいろんな工夫をこらしていました。 たとえば、シーツをTERUさんが被って、 「オバケのQ太郎」みたいな恰好で歌ってみたりとか・・・あと、ちゃんちゃんこを着てライブをするとか・・・

ちなみにその「ちゃんちゃんこの写真」はAKIRAさんの著書(「Beat Of GLAY」)にばっちりありました。 クスっと笑える写真です。

 

 

GLAYは、どのライブハウスシーンの派閥にも入れなかった

 

東京のライブハウスシーンの一つの特徴として 「派閥意識」があります。 で、GLAYはどこの派閥にも入れませんでした。

なぜかというと・・・

GLAYは、ビジュアル系でもない、ポップ系でもない、ゴリゴリなロック系でもない・・・そんな音楽性が、「中途半端」という評価をされて、対バンライブに組み込まれにくかったんです。

ちょうどその頃、イカ天にも出ました。で、その「中途半端」ということはイカ天でも言われちゃってましたね。「ROCKで行くのかなーって思いきや勢いなく終わっちゃったね」と。

 

ちなみにそのときの様子はYouTubeの動画で見ることができます。曲は「無限のDejavu」です。

 

 

ライブハウスシーンには上下関係もある

 

また、ライブハウスシーンの「派閥」は、単にジャンルの問題だけではなくて、 上下関係という意味でも重要です。

上下関係とはどういうことかというと、「師匠と弟子」ということです。 弟子はローディーをやってるケースが多いですね。

 

人気のあるバンドのローディーとして、他のバンドの人たちが「荷物運び」などで駆り出されるわけです。 

人気のあるバンドは、 弟子のバンドに仕事をやらせる代わりに、ライブのブッキングで弟子を優遇するわけです。そういう上下関係がライブハウスの世界にはあります。

 

派閥の代表例は、X JAPANのYOSHIKIさん。

 

その一例がYOSHIKIさんを中心とするエクスタシーレコードの派閥です。 YOSHIKIさんはエクスタシーレコードの後輩を集めて 年末に忘年会をやって、 そこで一升瓶で後輩をたたいて気合を入れることもありました。

それぞれの派閥で、それぞれ特徴がありました。 でも、GLAYはそのどの派閥にも入れなかったんです。だからとても苦労しました。 でも、GLAYはあきらめませんでした。

どのように解決したか、というと・・・

GLAYと同じように、「どこの派閥にも入れないバンド」を集めたんです。 で、いわば「無所属の集まり」を作って、 それでライブイベントを企画しました。

 

 

 

函館時代に集客ノウハウを培っていたGLAY

 

GLAYの集客ノウハウは函館時代に確立しています。 函館時代も、いろんなライブイベントをGLAY自身が企画していました。だから、その集客ノウハウを東京でも使ってみたんですね。 で、それが成功して、GLAYは東京のライブハウスでも人気を得た、というわけです。

 

で、だんだん軌道に乗ってきて・・・ 1992年の秋に「新宿ロフト」に出演できることが決まりました。 TAKUROさん的には、これはとてもうれしかったようです。

というのも・・・「新宿ロフト」はいろんな伝説を作ってるわけじゃないですか。 BOØWYも出ましたしね、

 

だから、「GLAYは大きなバンドになれるんじゃないか」ってことで、 TAKUROさんはテンションが上がったんです。で、東京にいる地元の人達を集めてパーティーををやろうってことで 「ロフト出演記念パーティー」をやったようです。

 

そして・・・そこにいたのがまさに、あのJIROさんです。

 

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