JIRO(GLAY)のアマチュア時代を語る1/2

JIRO(GLAY)の歴史①【BOOWYをきっかけに音楽に入り、メタル、スラッシュへ】

 

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~~(この記事は、私のYouTubeトークの文字起こしです)

今回はGLAYのJIROさんのアマチュア時代の歴史について、2回に分けて語ります。

JIROさんがGLAYに加入した影響はとても大きなものがあります。それは、JIROさんが「積極的に売り込んでいこう」という提言をしたことですね。その影響があって、最終的にはGLAYがYOSHIKIさんに注目されるという展開になっていったわけです。

さて、そんなJIROさんの歴史を追っていきましょう。

 

JIROさんが育った家庭は、厳しかった

 

JIROさんは1972年に生まれました。

家族は、お父さん、お母さん、お姉さん、妹さんです。

お父さんはとても厳しい人だったようです。JIROさんに「男らしくなれ」ということをしばしば言っており、かなり武闘派な方だったとのことです。

なので、JIROさんが音楽をやることにも反対でした。音楽なんかより、空手やボクシングをやれ、ということですね。なので、JIROさんが音楽をやるために上京するとき、JIROさんとしては「お父さんは賛成してくれるだろうか」ととても不安に思ったそうです。

しかし、予想を裏切って、お父さんはあっさりと上京を認めたそうですね。その裏では、実はお母さんがお父さんを説得していた、ということがありました。お母さんは、JIROさんが音楽をやることに理解を示していましたからね。

 

JIROさんの小学生~中学生時代

 

小学生時代のJIROさんは、目立たない存在でした。なので、中学ではそのイメージを払拭しようとして、バスケットボール部に入りました。

試合で活躍して目立ちたい、と思ったんですね。でも、実際は球拾いばかりさせられて、まともに練習もできない状態でした。なので、バスケ部はすぐに辞めたそうです。

そのタイミングで、ちょうど音楽の世界に入っていくきっかけがありました。それは、クラスで一緒だったコマツさんという人と仲良くなったことです。中学2年のときです。

コマツさんは、ちょっと不良っぽい感じの男で、もともとJIROさんとは接点はありませんでした。でも、たまたま席が近くなって親しくなったようですね。

で、そのコマツさんの家に行くと、ギターがあった、というわけです。それをきっかけに、JIROさんは音楽に興味を持ちました。しかも、コマツさんはギターに飽きていて、キーボードをやりたい、と言い出したのです。そういうことから、JIROさんにギターを貸してあげたんですね。

 

で、JIROさんはそのギターを家に持って帰ったんですが、お母さんから「今すぐ返しなさい」と言われたそうです。

お母さんとしては、そんな高級なものを借りてくるべきではない、ということでそのように言ったのです。なので、JIROさんは自分でギターを買うことにしました。

JIROさんは、中学一年の頃から新聞配達のアルバイトをやっていました。だから、お金がたまっていたんです。で、そのお金でギターを買った、というわけです。しばらくはコマツさんを中心に、何人かの友達とレベッカのコピーなどをしていたようですね。

そして、しだいに音楽の興味が変わっていきました。お姉さんから借りたBOØWYカセットテープをきっかけにどんどん、ロック方面へと向かっていきました。

そして、それはだんだん、極端になり、高校時代はスラッシュメタルに興味を持つまでにディープになっていきました。

次の記事に続きます!)

 

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