JIRO(GLAY)のアマチュア時代を語る2/2

 

JIRO(GLAY)の歴史②【上京後、先輩バンドのグレイ加入へ】

~~(この記事は、私のYouTubeトークの文字起こしです)

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前回の記事に引き続き、GLAYのJIROさんについて語ります。2回目です。

JIROさんは、高校で本格的なバンドにギタリストとして加入する

 

前回の記事で触れたとおり、JIROさんは中学でギターを始めました。最初はレベッカのコピーをしていましたが、後にBOØWYに興味が移り、そしてさらにはハードコアにまで関心が広がっていきました。

高校に入ると、同級生が組んでいた「セラヴィ」というバンドにギタリストとして加入しました。オリジナルもやる本格的なバンドです。JIROさんも作詞作曲を積極的に行いました。

しかし、やがてJIROさんは「セラヴィはちょっと物足りないな」と感じ始めました。なぜかというと、セラヴィはJIROさんの好きなハードコア系ではなく、かなりポップな曲を中心にやっていたからです。

そういうタイミングで、イコマさんという同級生から他のバンド「ピエロ」に誘われました。で、このバンドはまさに、JIROさんが求めていたハードコアなバンドだったんです。

ただ、イコマさんは、JIROさんをギタリストではなく、ベーシストとして誘いました。しかし、JIROさんはむしろそれを「面白そうだ」と感じ、ピエロに加入することにしたのです。

ベースは持っていませんでしたが、友達同士でギターとベースを交換して手に入れたようですね。

ピエロは、かなり本格的なバンドでした。リハーサルもみっちりと行っていましたし、集客のノウハウも持っていました。集客ノウハウは、ピエロのボーカルのツカサさんが、GLAYのメンバーから学んだ、ということです。

そうやって、ピエロも函館の中で人気バンドへと成長していきました。

そしていよいよ、上京です。

 

上京後、寮付きのデザイン会社に就職。営業を担当する

 

東京では、JIROさんは寮付きのデザイン会社に入って、営業を担当しました。仕事は順調だったようです。しかし、肝心のバンド活動がうまくいきませんでした。一緒に上京したメンバーは、急にやる気がを失ってしまって、バンドが自然消滅したのです。

さらにその後に組んだバンドも、全くうまくいきませんでした。

 

★ ★ ★

 

そんな折に・・・

GLAYは1年先に上京して頑張ってたわけです。色々苦労した末にようやく、 バンドの登竜門と呼ばれる新宿ロフトでライブができることが決まりました。

そこで、GLAYのメンバーは地元の仲間を集めて前祝いパーティを開催することにしました。で、JIROさんはそれに参加したんです。

ちょうどその頃、GLAYはベーシストが抜けてしまっていました。なので、TAKUROさんはJIROさんに「もしよかったら、GLAYに入らない?」と誘ってみたのです。

JIROさんは、函館時代からGLAYを尊敬していたので、加入することを決めました。

 

GLAYに加入したばかりの頃のJIROさんは、ベースはそれほどうまくはなかったようです。これは、当時GLAYのドラマーだったAKIRAさんの著書「Beat Of GLAY」に書かれています。

しかし、その後、猛練習の結果、JIROさんはめきめきと上達していきました。それだけでなく、GLAYを売り込むための戦略を、どんどんメンバーに提案していきました。

JIROさんが提案した売り込み戦略は功を奏しました。後にYOSHIKIさんがGLAYのライブを見にくる、ということにまで発展しました。

その後のGLAY、そしてJIROさんの活躍は皆さん十分ご存知のことと思います。

今回は、2回に分けてGLAYのJIROさんのアマチュア時代の歴史を語ってみました。あなたの夢を実現するための参考になる部分が、きっとありますよ。

以上、天野カズからの、あなたへのアウトプットでした。いつも僕のYouTubeトークを聴いていただき、そしてこのブログに訪れていただき、本当にありがとうございます!

 

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