TERU(GLAY)のアマチュア時代を語る2/2

TERU(GLAY)の歴史②【函館の高校時代から、上京まで】

 

 

 ~~(この記事は、私のYouTubeトークの文字起こしです)

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では、前回の記事の続きです。「GLAYのTERUさんの歴史」についてですね。

 

TAKUROさんがTERUさんをバンドに誘ったとき、TAKUROさんはとても不安を感じた

 

前の記事でも振れましたが、TERUさんは高校の先輩のバンドにドラマーとして加入しました。で、同時期に、違う高校に通っていたTAKUROさんもバンドを組んでいました。GLAYの前身となるバンドです。

でも、TAKUROさんは「メンバーがあまり真剣ではない」ということで、何人かのメンバーにやめてもらうことにしました。なので、TAKUROさんは新たにメンバーを探し始めたというわけです。

 

そんなとき、TAKUROさんのバンドのヒトシさん(ベース担当)が、「TERUがドラムをやってるみたいだよ」という情報をTAKUROさんに教えました。

前の記事でも触れましたが、もともと、TAKUROさんとTERUさんは同じ中学に通っていましたよね。しかも、ファミコンを通じて一緒に遊ぶようになったほど仲良しでした。

なので、TAKUROさんはTERUさんをドラムとして誘ってみることにしたんです。で、TAKUROさんはTERUさんに電話をかけてみましたが・・・TERUさんは簡単に「バンド?いいよ。やるよ。」と軽く引き受けたそうです。

 

TAKUROさんは、TERUさんがあまりにも簡単に引き受けるんで心配になりました。

「真剣にやっていくバンドだけど本当にいいの?」と何回も何回も確認したそうです。それでもTERUさんは「いいよいいよ」みたいな適当な感じで答えたそうですね。なので、TAKUROさんはますます心配したようです。

 

でも・・・

その心配は杞憂に終わりました。なぜなら、実際に一緒に音を出してみると、TERUさんは真面目に練習もしてきてくれていたんですね。そういうわけで、TAKUROさんはひと安心しました。

 

 ~~(この記事は、私のYouTubeトークの文字起こしです)

 

TAKUROさんはボーカル探しに難航。しかし・・・意外な場所にボーカル適任者がいるのに気づく

 

しかし、TAKUROさん的にはまだまだ心配事は残っていました。それは、「ボーカルがいない」という問題です。

「ベースもいる、ギターもいる、ドラムはTERUで決まった。曲だって作っている。でも、中々でもボーカルが見つからない・・・」

ということで、ボーカルを必死に探していたのです。さて、そんなとき・・・

TAKUROさんは人生の中で数えるほどしかない、とても驚いた瞬間に出会いました。それは・・・TERUさんの歌声を聴いてしまったことです。それは、こんな経緯でした。

 

TAKUROさんの作ったデモテープ。それには、メロディーラインが入ってなかったんですね。

 

ただ、TERUさんの家にはカラオケマシーンがありました。なので、TERUさんは冗談半分で、TAKUROさんのデモテープに歌を入れてみたんです。で、それをTAKUROさんに聴かせてみたんですね。

で、TAKUROさんは、まさにそこに入っていたTERUさんの歌声にびっくり仰天したというわけです。

TERUさん的には、「ただのカラオケよりもちゃんと歌が入った方が、どういう曲かってのがわかるだろう」っていう意味で、軽い気持ちで歌入れしただけなのに・・・

TAKUROさんは、TERUさんに言いました。

「ドラムやってる場合じゃないよ。お前がボーカルやれよ!」

と。

 

TAKUROさんのが音楽で驚いたのは2回。BOØWYの「B・BLUE」を聴いたときと、もう一回は・・・

 

ちなみに・・・

 

TAKUROさんは音楽でびっくりした記憶として、二つあるそうです。一つがBOOWYの「B・BLUE」を友達の家で聞いた時。そしてもう一つがTERUさんの声を聴いた時、です。TAKUROさんがいかに驚いたかがお分かりでしょう。

TERUさんは「本当はドラムやりたい」とも思いつつ、TAKUROさんに押し切られて、ボーカルに転向しました。

 

やがて、TERUさんのかわりのドラマーも見つかりました。ナカモトさんという人です。で、その約3ヶ月後。函館の「あうん堂」というライブスペースで初ライブを行いました。このときこそが、「GLAY」としての初ライブです。

 

 

 

TERUさんはそのライブで、「ボーカルって楽しいな」と感じたようですね。

そして、そのライブのすぐ後ぐらいに、HISASHIさんも加入しました。

実はヒサシさんはTAKUROさんと同じ学校ではあったんですけど、それほど接点はありませんでした。HISASHIさんは「蟻(あり)」っていうハードコア系のバンドを組んでいました。

なので、TAKUROさんの目指すメロディアスなバンドとは全く別次元のバンドをやってたわけですね。

でも、TAKUROさん的には音楽性が違うことが逆にいい、ということと、HISASHIさんが多くのお客さんをすでに集めていたということから、HISASHIさんにGLAYに加入してもらうことにしたのです。

こうやってメンバーが固まってくると同時に、ライブも重ね、TERUさんは実力をつけていきました。GLAYは函館で大人気のバンドとなり、いよいよ上京、という段階に来ました。

ただ、ベースのヒトシさんとドラムのナカモトさんは、上京ができませんでした。ヒトシさんは親が反対し、ナカモトさんは地元で結婚することが決まっていたため、でした。

 

TERUさんは、即効で東京での就職先を決めて、TAKUROさんを誘った

 

しかし、TERUさんは違います。すぐに就職先を決めてきました。印刷会社です。それだけでなく、TERUさんはTAKUROさんを誘ったんですね。

「就職決めたからTAKUROも一緒に来ない?寮もあるよ」

と。そういうわけで、TERUさんとTAKUROさんは一緒にそこに住みながらそこで働くことになりました。

 

そこの印刷会社の人はとてもいい人ばかりだったそうです。でも・・・仕事の拘束時間が長くて、そこから曲作りもできない、楽器の練習もできない、という状況でした。特にTAKUROさんはこの状況に危機感を感じたそうです。

 

なので、TAKUROさんは3ヶ月後、その会社を辞める事になりました。で、TAKUROさんはシンゴさんという同じ函館出身の友達の家に居候することにしました。

 

シンゴさんは後にGLAYのベーシストとなるわけですけど、この時は別のバンドをやってたようですね。そして、TERUさんも、やがて印刷会社を辞めて出ました。

TERUさんの友達が東京に住んでたんで、しばらくそこに居候させてもらいました。で、すぐに水道工事のアルバイトを決めて、そこの寮に入りました。

当時、TERUさんはここで弱音も吐いたそうです。TAKUROさんに「もう帰りたい」と言ったそうですね。そんな時にTAKUROさんは「何言ってんの。もっと頑張っていこうよ」とTERUさんを励ましたそうです。

 

 

 

TERUさんが、TAKUROさんを励ました話

 

ちなみに・・・

 

同じ言葉を後にTAKUROさんもTERUさんに言われることになりました。それは・・・

だんだんGLAYも少しずつ軌道に乗りかけてきた時に、ライブハウスとトラブっちゃったっていう事件がありました。

 

その件でTAKUROさんは「もう嫌だ。函館に帰りたい」とTERUさんに電話で言ったようです。TERUさんはそう言われて、過去自分がTAKUROさんに言われた、同じことを言ったわけですね。

 

「もっと頑張っていこうよ」とTAKUROさんを励ましたんです。このようにTERUさんは、弱気になったり、逆に励ましてみたり・・・

とても本能的ですよね。そして「きっちりと筋は通す」という面も持ち合わせています。とても理想的な性格ですよね。だからそれが歌に乗って、人の心を捉えるんですね。

僕は、TERUさんのような性格を持ちたいと、憧れています。

 

以上、「TERUさんの歴史」を2回に分けて語ってみました。

 

以上、天野カズからの、あなたへのアウトプットでした。いつも僕のYouTubeトークを聴いていただき、そしてこのブログに訪れていただき、本当にありがとうございます!

 

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