清水有高氏がやることは全て「悪」に見える人は、まずは冷静な視点を取り戻してほしい

清水有高氏は悪の権化か?

天野です。清水有高氏がブロガーのとまべっちー氏を名誉棄損で訴えるかもしれない件についてです。

 

まず、僕のスタンスを整理

 

僕のスタンスは、「清水有高氏は批判されるべきだが、誹謗中傷はよくない」です。清水氏はスタッフをパワハラした疑惑で、当事者と民事裁判で争っています。なお、スタッフの一人は自死をされました。そのことについては、清水氏は強く強く批判されるべきです。

ただ、今の状況は、清水氏はパワハラ以外にもあることないことネットで書かれ、誹謗中傷されている状態です。これは間違っている、というのが僕の意見です。

 

とまべっちーさんは、清水有高氏を誹謗中傷していた

 

さて、とまべっちーさんですが、清水氏への批判は明らかに誹謗中傷の域に達しています。「サイコパス」「連続〇人犯と同じ」「悪徳経営者」「弱者から搾取している」などなど・・・

これらはほんの一部です。果たしてこれは「批判」と言えるでしょうか?批判は、このような言葉を使わなくてもできるはずです。

しかし、不思議なことに、清水有高氏が嫌いな人たちにとっては、とまべっちーさんが書いた記事は「許容の範囲内」に見えるようです。そう思えてしまう理由は、「清水有高憎し」の色眼鏡で見ているからです。

 

僕は、清水有高氏、とまべっちーさん、どちらにも思い入れはない

 

なお、僕は、清水有高氏には思い入れは全くありません。ファンでも信者でもありません。

はっきりいえば、「他人事」としてこの問題を見ています。僕が関心があるのは「叩きの文化」です。過去に様々な人がネット上で叩かれ、抹殺されています。今回の問題は、そういう側面から関心を寄せているのであって、清水有高氏もとまべっちーさんも、僕にとっては何の関係もない、特に思い入れもない、まさに「他人」です。

そういう公平な立場から見て思います。今回の「とまべっちーさんが清水有高氏に訴えられるかもしれない件」について。清水氏がとまべっちーさんを提訴するという行動は、「何もおかしくない」と。

 

清水有高氏がとまべっちーさんを訴えることを「おかしい」と思っている人

 

それに対して、この裁判を「おかしい」と言っている人がたくさんいます。「反・清水」の色眼鏡で見ている人たちです。その典型的な例として、以下の書き込みをご紹介します。

この書き込みは、とまべっちーさんが訴訟対策費用を募っているクラウドファウンディングのサイトでのものです。

朝日のビ・ハイア問題の原告記者会見報道のあと
数社がこの問題を記事にして配信しました
その都度被告側は報道各社に
「法的措置を取る用意がある」
と書いた抗議文を送っています
この件のその後の進展はどうなったでしょうか
被告側がとった法的措置は個人のとまべっち―氏に向かいました
それまでとまべっち―氏のブログでの言論に言及したことがあったでしょうか
報道会社に送ったような抗議文を送ったのでしょうか
法的措置とはその対応に応じて普通は考えられるもの
だから報道各社への抗議文には
「誠意ある回答が見られない場合、弊社はやむなく・・・」
このような文章が添えられます
とまべっちー氏へのいきなりの開示請求訴訟は
普通取るはずべき手順を超えたものと言わざるを得ません
普通このような行為はスラップ訴訟と呼ばれます
強者が弱者に用いる裁判手法
私に言わせれば卑怯な手段です
もし自分に道理があるなら正々堂々と言論で対峙すればいい
問答無用というこの手法は個人という弱者を狙い撃ちにしてきたもの
だから私は許せないのです
自分の問題としてとまべっち―氏の今回のこのプロジェクトを
必ず成功させたいと思う理由がそこにあります

どうかこの問題
とまべっち―氏のこのプロジェクトを
お知り合いの方に拡げてください

どうかよろしくお願いいたします

引用元 : 発信者情報開示を求める訴訟に対抗する)

 

 

この方(「Aさん」とします)は、とまべっちーさんを応援しているということで、クラウドファウンディングの件を拡散しているとのことです。まあ、それは別にいいです。

ただ、問題が2点あります。

 

 

Aさんの書き込みの、ひとつ目の問題

 

ひとつは、このAさん自身が、とまべっちーさんのクラウドファウンディングに入金していないことです。清水有高氏の問題を真剣に考えるなら、なぜ資金提供できないのでしょうか?おおいに疑問です。

人は、物事に真剣になればなるほど、投資をしようという気持ちになるものです。たとえば、好きな女性を口説きたいと思った場合、その「好きの度合い」によって、プレゼントする額は高額になります。

もし、数千円のプレゼントしか用意せずに「好きだ」と告白したとしても、全く説得力がありません。

では、Aさんはいったいどうでしょうか。とまべっちーさんに全く資金提供していません。果たしてこれで「真剣」と言えるでしょうか。

他の人を見ても・・・

今のところ、とまべっちーさんへのクラウドファウンディングの状況を見ると、一人当たり平均して5000円の提供にとどまっています。と、いうことは、ですよ?清水有高氏の問題は、資金提供するほど興味を持っている人にとってすら「たかが5000円程度」の関心度だということになります。

犠牲になられた方は、この状況をどう見ているでしょうか。だって、考えてみてください。

ネット上でさんざん、犠牲になられた方への思いを書き、清水憎しということであらゆる思いのたけを書きながら、結局はみんな、「5000円程度の問題」としか思っていないわけです。しかも、資金提供すらしない人もたくさんいます。この状況を、犠牲になられた方は喜んで見ているでしょうか。

つまり、みんな、「単なるワイドショーのネタであれこれ書くのと同じレベル」で語っている、ということです。これほど失礼な話があるでしょうか?

ここで、こんな反論が返ってくるかもしれません。

「いや、私の場合はそうじゃない。決してワイドショーネタなんかとは同じに見ていない。私は真剣にこの問題を考えているんだ」

と。もしそれが本当なら、一人当たり5000円という額をどう説明するのでしょうか?真剣なら、もっと資金提供するはずです。現に、ジョーブログさんはクラウドファウンディングで2000万円を集めているのです。これは、ジョーブログさんや、彼を応援する人たちが「真剣」だったからです。

少年野球の監督ですら、チームのために10万、20万と投資します。僕の友人にいたっては、自分が監督でも選手でもないフットサルチームを作るために、休日を削って奔走していました。つまり時間もお金も投資しているわけです。

「真剣にかかわる」というのは、こういうことを言うのです。

 

 

 

 

ワイドショーレベルで関わるのは、当事者双方にとって、失礼

 

僕は思います。もし、清水有高氏の問題を真剣に考えるなら、もっと多額の資金を集めて、探偵を雇うなどして徹底的に清水有高氏の問題を考えるべきだ、と。今、とまべっちーさんが資金を集めている状況ですから、まさにそれができるチャンスなのです。

で、もしそこまで「真剣」ではない、というのなら、これ以上清水氏問題はつつかずに、静観するべきです。

今、清水氏と被害者は民事裁判で真剣に、真剣に、真剣に、真剣に、それこそ真剣に争っている最中です。真剣に考えてもいない、ワイドショーのネタ程度にしか考えていない外野があれこれヤジを飛ばすべきではありません。

それでもこの問題にかかわりたいのなら、「真剣に」かかわるべきです。

 

Aさんの書き込みの、ふたつ目の問題

 

さて、Aさんの書き込みのもう一つの問題です。それは、この方が、全てを「清水憎し」の色眼鏡で見ていることです。

Aさんによると、「清水氏は卑怯だ」ということです。新聞社を訴えずに個人ブロガーを訴えようとしているからとのことです。ですが、ちょっと待ってください。色眼鏡を取って冷静になって考えてみましょう。別に卑怯でもなんでもありませんよ。

なにせ、清水氏にしてみれば、新聞社を相手にするといろいろ面倒です。新聞社は裁判に慣れていますからね。

それよりは、楽に勝てる相手に裁判をしかける方が、普通に考えて理にかなっています。「勝てる相手に挑んでいく」というのは、果たして卑怯なのでしょうか?きわめて普通のことだと思いますが。

僕はふだん、ネット上でビジネスを展開していますが、「勝てる分野」で仕掛けています。これを卑怯という人には出会ったことがありません。というか、どんな分野でも、「勝てる相手に仕掛ける」のは、勝つための王道です。

さて、ここで整理したいのですが、清水氏を批判している人たちを列挙してみましょう。

 

<清水有高氏を批判している人>

・新聞社

・とまべっちーさん(批判の急先鋒)

・掲示板でいろいろ書いている人

・ツイッターでいろいろ書いている人

 

などなどです。さて、こういう場合、どこを訴えるのが一番効率がいいでしょうか?わざわざめんどくさい新聞社を訴えますか?それよりは、余裕で勝てそうな個人を訴えるのはごくごく自然でしょう。

で、その個人の中で、”清水批判の急先鋒であり、誹謗中傷ワードをふんだんに使ってブログを書いている「とまべっちーさん」”を訴える先として選ぶのは、全くおかしいことではありません。

なので、卑怯でもなんでもないのです。

 

 

 

清水氏がやっていることは”強者が弱者に用いる裁判手法”なのか?

 

また、Aさんは「清水氏がやっていることは”強者が弱者に用いる裁判手法”」と言っています。ですが、これもおかしな話です。

だって、考えてみてください。果たして清水有高氏は「強者」でしょうか?中小企業の社長ですよ?強者ではありません。清水氏は、裁判費用を工面するだけで精一杯のはずです。

むしろ、清水氏ととまべっちー氏の力関係は対等です。なぜならとまべっちー氏自身も、教育関係で起業していらっしゃる方であり、立派な社長ですから。つまり、「社長vs社長」の対等な戦いです。

Aさんは、この構図が見えていません。それもこれも、この件を「清水憎し」の色眼鏡で見ているからです。

 

 

そもそも、誹謗中傷をせずに批判していたなら、裁判されても怖くないはず

 

そもそも、もしとまべっちー氏が誹謗中傷の言葉なんか使わずに清水氏を正しく批判していたなら、裁判されても怖くもなんともないのです。で、少なくとも報道各社は、清水有高氏を誹謗中傷はしていません。「サイコパス」とか「連続〇人犯と同じ」という言葉を使っていないのです。

そういう意味でも、清水氏にとっては新聞各社を訴えるより、とまべっちーさんを訴えた方が簡単に勝てるのです。だからとまべっちーさんを訴えているだけのことです。卑怯とか、そういう問題ではありません。

 

 

 

「韓国→日本」の視点に似ている

 

ここまで読んでも、もし僕の言っている意味がわからない、という方がおられたら、「韓国→日本」の視点を考えてみてください。これで一発でわかるはずです。

韓国人は日本を「色眼鏡」で見ます。われわれ日本人からすると、「それ、おかしいよね?」と思えること、たくさんありますよね。でも、韓国の中にいると、それがわからないのです。

たとえば、「最終的かつ不可逆的に解決されたことを確認する」とされて終わった問題であっても、日本人にさらなる謝罪を要求してきますよね?

でも、これは韓国という空気の中にいたら、「普通のこと」と感じるのです。

 

「清水憎し」の人にとっては、清水有高氏は悪の権化であり、清水氏の行動は全て「悪いこと」に見える

 

「清水憎し」の色眼鏡で見ている人にとっては、清水有高という人間は「悪の権化」なので、どんな罵詈雑言を浴びせても全く問題ないのです。そして、清水有高氏が裁判をしかけたら、なんでもかんでも「卑怯」に見えるし、「スラップ訴訟」に見えるのです。

 

考えてみてください。

 

スラップ訴訟というのは、多くの資金を持つ強者が、言論を弾圧するために様々な方面に裁判をしまくることを指します。

そう考えた場合、清水有高氏はどうでしょうか?

清水有高氏は、中小企業の社長であり、資金は多くはありません。しかも経営は苦しかったと報道されています。つまり弱者です。しかも、訴えたのはとまべっちーさんだけで、他の言論人をやたらを訴えることはしていません。なので、スラップ訴訟でもなんでもない、「普通の裁判」です。

 

商店街の小さな喫茶店は、「大企業」ではない

 

Aさんは、たとえば商店街で営業している小さな喫茶店を、「強者」と思っているのでしょうか?まさかそんなはずはありません。

「強者」というのは、スターバックスやタリーズなどの大企業を指します。商店街の喫茶店は、どこも苦しい経営をしています。そういう中小企業を不当に「強者」呼ばわりし、ちょっと裁判を起こしたくらいで叩く人がいるでしょうか?

たしかに、清水有高氏は個性が強く、怪しく見えることもたくさん、やっています。しかし、だからといって、清水有高氏の会社が「大企業」に見えてしまう、というのは、「色眼鏡」で見ているとしか思えません。そこに気づいてほしいと思います。

まさに韓国が日本を見る目と同じです。

かつて、日本は韓国に様々な被害を与えました。だからといって、日本がやったことは全部悪いのでしょうか。日本には罵詈雑言を浴びせてもいいのでしょうか。そんなわけはないでしょう。

批判すべきところと、そうでないところを分けて考えていくべきです。そうしないと、日本はますます再チャレンジが難しい国になり、閉塞していきます。

Aさんのような考えを持ち、「嫌いな奴」を叩いて転落させ、社会から葬り去ることは、一時的にはすっとするでしょう。しかし、それは巡り巡って、自分を苦しくすることにつながります。

 

日本の幸福度は、先進国の中ではほぼ最下位

 

現に、日本の幸福度は、先進国ではほぼ毎年、最下位です。「おもてなし強要文化」のために、外国人からのウケはいいですが、実際は違います。外の人には良く見せて、内ではパワハラをするのが日本流です。

喫茶店で笑顔で接客するスタッフは外国人から褒められますが、裏では、スタッフは厳しく指導されて泣いているのです。

清水有高氏の場合もそうでしょう。YouTubeで見せた清水氏の会社は、キラキラと輝いていました。そして、視聴者を魅了し、多くの人がファンになりました。

でも、実は裏ではスタッフは泣いていたのです。まさに日本人の「おもてなし強要文化」そのものです。客にはやさしく、身内には厳しい日本流。たしかにスタッフは、ミスをしたかもしれません。清水氏が納得するような成果をあげられなかったかもしれません。

しかし、清水氏はそれを許さなかったのです。完璧であることを強要し、圧迫しました。

 

清水氏を抹殺しようとしている人もは、清水氏と同じことをしている

 

さて、では清水氏を抹殺させようとしている人たちはどうなのでしょうか?

清水氏と同じことをしていませんか?清水氏は、たしかに大きなミスをしました。これは、一生をかけてつぐなわなければならないことです。だからといって、再起不能なまでに叩き落すことが、果たして正しいでしょうか?

社長として完全、完璧に清潔であることを強要し、ミスをしたら叩き落とす。そうやって、一度でもミスした会社を抹消していけば、一見、社会は清潔になるでしょう。外国人からは驚嘆されるような完璧な国になるでしょう。

しかし、そんな「ミスが許されない国」で暮らす国民はどうでしょうか?

ミスした部分と、そうでない部分を分けて、批判する部分は批判し、そうではないところはノータッチを貫くこと。この姿勢が大事です。