清水有高氏vsとまべっちーさん問題について。批判はいいが、誹謗中傷はよくない

天野です。

ブロガーのとまべっちーさんが清水有高氏から訴えられるかもしれない件についてです。僕は、こちらの記事でも書いたとおり、とまべっちーさんは清水有高氏に全面謝罪すべきだと思っています。

 

「批判」はいいが、誹謗中傷はよくない

 

もちろん、清水有高氏はスタッフにパワハラをしたと僕も思っています。それは、こちらの記事で書きました。なので、清水有高氏を批判することは、何らおかしいこととは思っていません。

しかし、「誹謗中傷」となると話は別です。とまべっちーさんは、批判を通り越して、誹謗中傷を行いました。それは「普通の感覚」で見ればわかることです。

だって、考えてみてください。「洗脳者」「連続〇人の犯人と同じ」「サイコパス」。これらの言葉は、果たして「批判」と言えるでしょうか?「普通の感覚」で見れば、もはや批判を通り越して、誹謗中傷になってしまっていることがわかります。

なので、とまべっちーさんが今、すべきなのは、全面謝罪することです。なお、そのことによって、とまべっちーさんの尊厳が傷つけられることは一切ありません。謝るべきときにスパッと謝れる人は、ほとんどいません。むしろとまべっちーさんの人間としての価値は確実に上がります。

 

清水有高氏も、謝罪していない

 

ここで、こんな反論が来そうですね。

「清水有高だって、スタッフに対して謝罪していないじゃないか。」

と。そうです。だからこそ、清水有高氏と同じレベルに立ってはいけないのです。謝るべきときスパッと謝れない清水氏。もし、とまべっちーさんが謝罪できないのなら、その清水氏と同じレベルにとどまってしまうことになります。

とまべっちーさんは、まずは全面謝罪をして、そのうえで改めて持論を展開すればいいのです。

また、清水氏も、やはり謝るべきだと思います。もちろん、清水氏としては、犠牲になられた方が、「妹のような存在だった」と思っていたことも事実でしょう。だからこそ謝りたくないという思いがあるとは思います。

しかし、「妹のようだ」という思いが100%ではなかったのも、また事実だと僕は思っています。「スタッフとして使い倒してやろう」という思いは、確実にあったでしょう。僕の憶測ですが、その比率が時には9割になったり、1割になったり、と、変動していたと思います。

ただ、まずは謝って、償うべき部分を償ったうえで、ご自分の主張を展開するべきです。そうすれば、世間が清水氏に抱いている誤解もかなり解けるはずです。

 

 

 

 

清水叩きをしている方々にも、冷静になっていただきたい

さて、以上のことを踏まえたうえで、今回、僕が言いたいことです。

それは、清水叩きをしている人たちに対してです。「どうか、まずは冷静になってください」ということです。

僕は、以前から「叩きの文化」にはおおいに疑問を持っています。はじめて関心を持ったのは、2005年の耐震偽装問題からです。何も悪いことはしていないヒューザーの小嶋進氏が、「悪そうなイメージ」だけで叩かれ、黒幕と決めつけられ、重箱の隅をつつくような案件で逮捕され、転落しました。

一方、同じく偽装マンションを売っていたシノケンの篠原英明氏は、若くてイケメンで、参考人招致での冷静な受け答えから評価され、転落するどころか名前を売って、会社をさらに大きくしました。

つまり、「普通の感覚」で見ればわかることが、「頭の中が熱くなっている状態」ではわからないのです。耐震偽装問題の場合は、設計士の姉歯氏こそが黒幕であり、小嶋氏も篠原氏も同じく被害者にすぎないということは、冷静になった今は、誰でもわかります。しかし、そのときはほとんどの人はわからなかったのです。

このように、誰かが叩かれているときは、人々の頭の中は熱くなります。その「熱さ」のために、「普通の感覚」で見れば見えることが、全く見えなくなってしまっています。

 

とまべっちーさんのブログのコメント

 

たとえば、とまべっちーさんのブログのコメント欄に、以下のようなことが書かれていました。

 

とまべっちーさん、非公開記事の公開、ありがとうございます。
私のことは敬称なく「匿名くん」で結構です。

さて、公開していただいた記事を拝読いたしましたが、あくまでも私が公平とする主観で意見させていただきますと、この内容には、清水氏の社会的評価を低下させるといった要素を全く感じません。
屁理屈ではなく、当該指摘箇所である「大山さんを死なせたことさえ肯定してよい。」の解釈として、私は清水氏が経営する会社の代表として「(不本意ながら)死なせてしまった、と(自己責任として)肯定してよい」と受け取りました。それまでの文意を鑑みるに、とまべっちーさんはこの記事において、どちらかと言えば清水氏の功績を肯定しています。その責任者たる思いとして「大山さんを死なせてしまった」自責の念と捉えるのが一般的ではないかと思いました。といいますか、そうなんですよね?

改めて目録を見直しますと、昨日とは真逆の意見ですが、(1)が最も人権侵害に抵触していないように私は思いました。ただ、判断するのは裁判所ですので、あくまで個人的意見ということで参考にしていただければと思います。

しかし、この内容に突っかかってくるというのは、向こうも相当追い詰められているということですね。私はとまべっちーさんが早いタイミング(パワハラの事件が世に広まり、公益に与した段階)で本件から離れたことが、何よりも同氏を追い詰めたり、人権の侵害を目的にしていなかったことの証だと思っています。そのことも明記されてよいかと。

また、こちらのサイトを見て、同氏や同社に対し慎重になった方もいたことと思います。これまで退社された方全員(無理なら協力者だけでも)にヒヤリングできれば、その情報の有用性も立証されるのではないでしょうか。

ブログ「とまべっちーの考え事」のコメント欄より引用

 

どうでしょうか?コメントを書いた方は、「頭の中が熱くなっている状態」なのが分かると思います。「公平とする主観で意見させていただきますと」とありますが、全く公平ではありません。とまべっちーさんに味方したいという「希望的観測」がかなり盛り込まれています。

もっとも、このコメントはとまべっちーさんが書いた「とある一部分」についての記述です。たしかに、その「とある一部分」には、清水氏を侮辱する表現はありませんでした。だからこそ、コメント主さんが「どちらかといえば清水氏の功績を肯定しています」という感想になるのはわかります。

しかし、このコメント主さん自身もおっしゃっているとおり、「判断するのは裁判所」です。裁判では、この「とある部分」だけを争うわけではありません。あくまで、「とある部分」は、「発信者情報公開を請求する書類に記載されていた」というだけです。

裁判になれば、とまべっちーさんが書いてきた様々なことは、「不利なことだらけ」です。勝てる要素がほとんどありません。というか、ほぼ確実に負けるでしょう。

 

このコメントが「冷静ではない」ことを示す部分

 

上記の段で、このコメントが全体的に「冷静な視点」を見失い、「清水憎し」の色眼鏡からの意見であることを書きました。ここでは、具体的に、おかしなところを指摘します。

この内容に突っかかってくるというのは、向こうも相当追い詰められているということですね。

 

とありますが、「この内容」としか思っていないことに驚きです。

「連続〇人犯と同じ」「公開洗脳」「自己欺瞞」「有能ではない」「カルト」「極悪パワハラ経営者」「幼稚なナルシシズム」「「自称清水さん」(笑)」「ビ・ハイアが倒産したら私はここでお祭りをしたいと思う」「清水自体はさして有能ではありません」「弱者から搾取しているだけ」

今、とまべっちーさんのブログを流し読みしただけでもこれだけの侮辱的な表現が出てきました。これらを踏まえての「この内容」なのです。コメント主さんにお聞きしたいですが、それが本当にわからないのですか?公平でもなんでもない、「清水憎し」で真っ黒な色眼鏡で見ているとしか思えません。

上記のようなことを言われて憤らない人が果たしているでしょうか?憤るということは、「突っかかる」場合もあるということです。「追い詰められている」とか、そんな次元よりもっと前の話です。人間の感情として、当たり前に生じる現象です。

 

私はとまべっちーさんが早いタイミング(パワハラの事件が世に広まり、公益に与した段階)で本件から離れたことが、何よりも同氏を追い詰めたり、人権の侵害を目的にしていなかったことの証だと思っています。

 

これもとてもおかしな認識です。「人権の侵害を目的にしていない」のなら、何を言ってもいいのでしょうか?たとえば僕があなたに、「連続〇人犯と同じ」「自己欺瞞」「カルト」「幼稚なナルシシズム」「公開洗脳」と言ったとします。で、後で「いやいや、あなたの人権を侵害する目的じゃないんですよ」と言ったら、あなたは許してくれるのでしょうか?そんなはずはありませんよね?

そもそも、清水氏はスタッフをパワハラしたわけですが、清水氏本人は、「妹のように思っていた」「戦友だった」と言っているわけです。しかし、そういう理屈を通り越して、結果的にスタッフを追い込んだからこそ、清水氏を批判しているわけですよね?

とまべっちーさんの発言を「人権侵害を目的としていないから問題ない」と判定するなら、同じく清水氏も「スタッフを追い込むことを目的としていないから問題ない」と判定しないと矛盾していることになります。まさに色眼鏡です。

繰り返しますが、僕は清水氏は大嫌いです。ビジネス手法、スタッフへの接し方、人間性含め、僕と友達にはなりえないタイプの人間だと思っています。なので、「清水側の色眼鏡」で見てはいません。

 

 

裁判で確定した後なら「〇〇〇」と呼んでも誹謗中傷ではない

 

もちろん、清水氏だって、スタッフの親御さんに対して言ったことや、給料未払い問題など、いろいろと疑惑はあります。そもそも、スタッフが犠牲になった大きな原因は、清水氏の言動にあったでしょう。

ただ、それらはまだ「確定していない」のです。今は、裁判で争っている状態です。しかも民事裁判です。刑事裁判は、まだ始まってすらいません。というか、警察も検察も全く動いていないというのが今の状況です。

そういう状況で、「〇人犯」と断罪することは、名誉棄損です。もし、そのように呼びたいというのであれば、裁判が確定した後です。裁判で「〇人犯」と確定したなら、そう呼んでも誹謗中傷ではありません。

なお、今は、清水有高氏は「容疑者」ですらありません。なぜなら、刑事事件になっていないからです。清水氏は、そういう状況であるということをよく踏まえたうえで、批判していくべきだと僕は思います。

 

「洗脳者」という呼び方も、全くあてはまらない

 

とまべっちーさんは、清水有高氏を「洗脳者」と呼んでいます。YouTubeで公開洗脳したということで断罪しています。これも「普通の感覚」で見れば全くおかしな指摘です。

そもそも、「洗脳」というのは、どんなことでもいえます。たとえば、学校教育だって「洗脳」です。CMだって「洗脳」です。

バブル時代のCMを見れば、今から見れば変なことがたくさん、CMで流されていました。

「朝シャンしなきゃいけませんよ」とか「大学生なら車を持つべき」とか「男なら彼女をスキーに連れて行くべき」とか「フリーターは自由の象徴」とか「歩きながらラーメンを食べるのが今風」などなど・・・

これらは今から見れば本当におかしなことばかりで、まさに「洗脳」です。が、なぜか問題になっていません。その理由は、「反社会的ではない」からです。「洗脳」が問題になるのは、国家に反乱をしかけるとか、人に多額の金銭的被害をもたらすなどの場合です。

 

 

 

こう考えた場合、清水氏はたしかに個性が強く、人を巻き込み、多くの人の思想に影響を与えました。しかし、その「思想」は、国家に反乱をしかけるものではありません。また、人に対して多額の金銭的被害をもたらすものでもありません。清水氏のYouTube動画は無料で公開されていました。また、有料セミナーも売っていたようですが、有料セミナーを買った人から「詐欺だ!」との被害の声はほとんどありません(もしあったら、コメント欄にて教えてください)。

もちろん、その有料セミナーの内容が質が高いかどうかは話は別です。しかし、たとえ質がどうあれ、買った人が納得していれば、それはそれで成立しているのであって、「詐欺」とまではいえません(倫理的には問題がありますが)。

これは僕の憶測ですが、清水氏の無料コンテンツをきっかけにしてコーチングに興味を持ち、今は本格的に学んでいる人はたくさんいると思います。たしかに、清水氏のコンテンツの内容は、見る人見れば薄いかもしれません。しかし、少なくとも「きっかけ」を与えるのには成功しているのではないか、と思います。

ましてや、「反社会的」なことは教えていないわけですし、ほとんど無料で開放しているわけです。なので、「洗脳者」と呼ぶことがいかに的外れであるかは、冷静になって考えてみればわかることです。

あくまで、清水氏について責められるべきは、「パワハラ問題」の一点のみです。今、「清水叩き」で熱くなっている人には、ぜひ、そこに気づいていただけたら、と思います。