今、清水有高氏を責めるのは時期尚早。まずは全体像を把握するべき

 

天野です。本日のアウトプットです。

昨日、清水有高氏の件で最初の民事裁判が行われました。事情をご存じない方に簡単に説明すると、スタッフをパラハラしたのではないかということで非難されているのが清水有高氏です。で、清水有高氏はそれを否定しているというのが今の状況です。

なお、この件では一人の方が犠牲になっていることは付け加えておきます。

ネット上では清水有高氏を「連続〇人の当事者」と同じであるという論調が多数を占めています。北九州で起きた某事件の男(わかる人にはわかると思います)や、〇原〇晃と清水有高氏を並べてその類似性を指摘されています。

そのことも踏まえたうえで、僕は現段階では清水有高氏を「連続〇人の当事者と同じ」などと決めつけるべきではないと思っています。ちなみに、僕は清水有効氏のファンでも信者でもありません。むしろ彼のYouTube動画を見た限りでは僕の嫌いなタイプでした。後述しますが、僕は「キラキラ系ビジネス」が好きではありません。

しかしながら、だからといって今の段階で清水氏を一方的に責めるべきではないと考えています。それは、以下にあげる3つの理由からです。

 

理由① 心の問題は裁けないから

 

ひとつ目は、「心の問題は裁けない」からです。
つまり、いくら精神的に追い込んだのが事実だとしても、それはどこまで行っても「心」の問題でしかないのです。非常に残念なことではありますが、法律では裁けません。

法律では、目に見えることを議論していきます。たとえば、暴言を吐いたとか、実際に手をあげてしまった、ということですね。

清水氏の場合は、暴言を吐いた証拠も、「手をあげた」証拠もありません。証拠があれば、事件として検挙し、裁くことができただろう、と思います。

もちろん、スタッフの「証言」があるのでそれを証拠とすることもできますが、「証言」だけだと弱いです。現に、「証言」だけで刑事事件として扱うことは、多くの人が許していませんよね?

たとえば、駅でよく起こる「冤〇」を思い出してみてください。あれはなぜ非難されるのでしょうか。それは、なんの証拠もなく一方の「証言」だけを信じて刑事事件として扱うからです。

なので、清水氏の件に限っては「証言」だけで刑事事件にすべきだ、というのは、「世間」の方が間違っているのです。清水氏を「証言」だけで刑事事件とするのを良しとするなら、同じように駅で起こることも認めていかないと、矛盾しているということになります。

 

会社内に監視カメラをつけることは必要

 

話がそれますが、今回のようなことを防ぐために、会社内に監視カメラを設置する文化が広がるべきだ、と個人的には思います。社内の様子や音声、電話の音声も全て記録としてとっておくということです。
そうすれば、何か問題が起こったときに、今回の清水氏の件のように「証言だけ」ということになってしまうことを防げます。

もちろん、同時にプライバシーの問題が出てきますから、しっかりとルールを決めた上での設置です。たとえば、「問題が起こったとき以外はいかなる人物も映像を見ることはできない」というルールですね。たとえ社長やオーナーであってもこのルールを破ったら、処罰されるというようなルール整備は必要でしょう。

 

 

 

理由② 心には二面性があるから

 

さて、清水氏を現段階で非難するべきではない2つ目の理由は「心には二面性があるから」です。

特に、社長がスタッフを思う気持ちや、体育会系の監督が部員を思う気持ちなどには、ふたつの心が混ざっているものです。つまり、「愛情」と「憎しみ」です。

社長としては、スタッフが育ってくれたら、単純にうれしいものです。それは、会社に利益をもたらしてくれるから、という理由もありますが、同時に、「人を育てることに、人間は喜びを感じるものだから」という理由もあります。

ただ、その比率がどの程度なのかは、誰にもわかりません。どこからどう見ても「憎しみ」から追い込んでいるようにしか見えなくても、実は本人は愛情でいっぱいだった、ということもあります。

また、その比率もさまざまです。たとえば、「愛情5割、憎しみ5割」でパワハラをした場合は、非難すべきでしょうか?実際に、このような比率でいじめやパワハラを行っている人は非常に多くいます。

特に部活では多いですね。なかなか成長しない選手に対して、そのもどかしさから憎しみがわき、選手を圧迫するような監督はそこら中にいます。つまり、愛情も憎しみも同じくらいあるケースです。こういうケースは、選手は学生の頃は監督を憎みますが、卒業した後はお互いに理解しあうことが多いです。

 

清水氏の場合はどうだったのか

では、清水氏の場合はどうだったのでしょうか。それは、今の段階ではわかりません。

前述のとおり、清水氏は一方的に「連続〇人の当事者」と同じであるという論調で語られています。北九州で起きた有名な事件や、〇原〇晃と同じだというわけです。

しかし、そう語るのは時期尚早です。全体像がわかってからでないと、もし実際は違っていたと後でわかった場合に、取返しがつきません。なのであくまで今は、冷静にこの件を見ていく必要があるのです。

 

理由③ 情報の偏向

 

今の段階で清水有高氏を一方的に責めるべきではない3つ目の理由は「情報の偏向」です。つまり、「偏向報道」や「偏ったネット情報」ですね。

当たり前ですが、偏った情報ばかり見せられると、人は偏った判断をするものです。しかし、この「当たり前」のことが、偏った情報を与えられている渦中では、人はわからないのものなのです。

特に、報道やネットで盛り上がっている最中のときは、盛り上がりの熱量がすさまじいので、その熱量に圧迫されるようにして人は冷静な判断力を失います。

過去を思い出してみてください。そのような例はたくさんありますよね?

たとえば鈴木宗男氏はかつて「疑惑の総合商社」とまで言われていました。そう言われていた当時は「どこから見ても悪人」だと世間は思っていました。でも今、同じように思っている人がいるでしょうか?現時点で改めて当時の報道を思い返してみると、「偏向していた」とわかります。しかし、その当時は誰もそう思いませんでした。これが、「盛り上がりの熱量」が冷静な判断力を奪った好例です。

 

 

 

 

 

キャラの濃い人は「悪人」にされやすい

 

「悪人」にされやすいのは、たいてい、キャラの濃い人です。鈴木宗男氏もそうですし、2005年の耐震偽装問題で「黒幕」とされたヒューザーの小嶋進社長もそうです。

小嶋進氏は、コワモテで、しかも国会の参考人招致では出席者を大声で恫喝しました。ニュースは、その「恫喝の様子」を切り取って何度も何度も垂れ流しました。こうなるともう、それを見る視聴者は冷静な判断力を失います。事実、小嶋進氏はメディアスクラムにあい、転落しました。

一方、同じ時期に同じように耐震偽装されたマンションを売っていたシノケンの篠原英明氏は、若い爽やか系のイケメンで、国会の参考人招致でも冷静沈着な受け答えをしました。篠原氏のようなキャラだと、報道各社としては叩いても面白くないのです。視聴率は稼げません。なので篠原氏は偏向報道の被害にあいませんでした。

いやむしろ、篠原氏はこの耐震偽装問題をうまく乗り切ったことで名を売って、今ではシノケンは大きな企業に成長しています。

小嶋氏も篠原氏も同じように耐震偽装されたマンションを売っていたのに、報道の偏向具合だけでこれだけ違いが出てしまうのです。

ちなみに小嶋進氏は「黒幕」でもなんでもなく、むしろ設計士に騙された被害者です。なので、いくら調べても小嶋氏が有罪になるような証拠は出てきませんでした。逮捕はされましたが「重箱の隅をつつくような別件逮捕」です。

 

さて、清水有高氏です。
清水有高氏も、キャラの濃い人です。だからなおさら、情報は偏ったものになります。そこを十分、想定したうえで各種情報を見ていく必要があるのです。

 

清水氏の「商法」を批判するのもおかしい

 

中には、清水憎しという思いから、清水氏の商法を叩く人もいます。これはもう、今回の件とは全く関係ないことです。
そもそも、商法を叩いている人のほとんどは、清水氏に一円もお金を払っていない、清水氏の無料YouTube動画の視聴者です。

ハンバーガー店で無料コーヒーしか飲んでいないのに、椅子が固いとか接客態度がなってないとか批判するのはおかしいでしょう。どんな最悪で最低に見える店でも、お金を払って食べに来る人がいるんだったら、批判するまでもなく、これはもう、好みの問題です。

もちろん、もしそれが怪しげな宗教団体のように、「反社会的な思想を植え付けられる」というようなものだったら、批判されるべきでしょう。でも、清水氏の場合は、「反社会的なこと」は教えていないようです。

世の中には、くだらないものを売っている人はたくさんいます。たとえばジョーブログさんは「俺とサシ飲みできる権利」なんてものを10万円で売って批判されました。でも、それを買う人がいるんです。それはその人の勝手だというしかないでしょう。

 

清水氏の商法とは

 

清水氏の商法は、一言で言うと、「キラキラしたイメージを打ち出して、情報弱者を釣って収益を得る」という商法です。冒頭にも書きましたが、僕はこういうことをやっている人は好きではありません。というか、嫌いです。

正直、清水氏が動画で教えている内容は苫米地英人氏の本を買えば済むようなことばかりです。有料セミナーはどうかは僕にはわかりませんが、まあ同じようなもんでしょう。

しかし、世の中には、「苫米地氏の本は難しくてわからない。それよりはキラキラしててわかりやすい清水氏の動画の方がいい」という人だっているわけです。で、そういう人が清水氏のセミナーを買うというわけです。

 

学習塾も同じこと

 

言い方によっては、学習塾も同じことです。学習塾で教えていることは、特別なことは何もありません。教科書に書いてあることばかりです。でも、「教科書は難しくてわからない」という人が塾に行くわけです。

 

ただ、ものには限度というものがある

 

ただ、ものには限度というものがあります。たとえばキラキラしているだけの講師を広告塔に使って釣って、内容の薄い授業を展開する塾もあります。その落差があまりにひどければ、非難されるべきでしょう。
清水氏の場合はどうなのかは、今、伝わっている情報を見る限りではわかりません。なぜなら、批判している人が無料YouTube動画の視聴者ばかりだからです。

「清水に大金を払ってセミナーに行ったのに、内容がペラペラだった。返金しろ!」という声があまり聞こえてこないということは、おそらく有料セミナーを買った人はそれなりに満足しているのではないか、と思います。

ただ、このあたりに関しては僕は詳しくないので、もし被害の情報があればコメントにてお教えいただけたら、と思います。これは煽りでもなんでもなく、本当に知りたいと思っています。

その情報をまとめて、改めて記事にします。

 

まとめ

 

いずれにしても、今の段階で清水氏を一方的に責めたり、関係ないことで非難したりすることはやめるべきでしょう。僕の記事にコメントしたくれた方の情報によれば、清水氏の容姿をいじるような書き込みさえあるようです。

ここまでくると、もはやパワハラとは関係ないどころか、清水氏と同じこと、つまり「いじめ」をしていることになります。僕は、この記事でも書きましたが、いじめを憎むなら、いじめをしてはいけないと考えています。

今は「非難するべきとき」ではなく、「全体像を把握するべきとき」です。現段階では本当かウソかわからない情報が混在し、しかも人々もすさまじい熱量の中で冷静な判断力を失っています。

物事の本質は、時間が経って情報が整理され、冷静に眺めてみたときにわかるものです。