「よろしかったでしょうか」という敬語をおかしいという方が、おかしい。

天野カズです。今回は、「よろしかったでしょうか」という敬語について、僕の思うところを書きます。

「よろしかったでしょうか」は間違った敬語なの?

 

まず、結論から書きます。「よろしかったでしょうか」は間違った敬語です。はい。

ただし!

ここからが僕が一番言いたいことですが、それは、「間違っているけど、問題ない」です。それどころか、これを「間違いだ」と断罪してしまう風潮こそがおかしいと僕は思います。

 

今は、一億総”突っ込み”社会

 

今は、一億総”突っ込み”社会です。つまり、ちょっとした間違いに、みんなが突っ込みを入れる社会です。僕は、これは問題だと思っています。

なぜなら、「社会が閉塞化するから」です。だって、考えてみてください。何かしようとするたびに、いちいち細かいミスを突っ込まれるんですよ?これでは人間は行動できませんよね。

行動ができないということは、「縮こまって生きる」ということです。日本はもともとそういう気質がある社会なのに、ネットの発達によってますます、みんながお互いに突っ込みを入れ合うような文化が加速しています。

そして今では、みんなが他人の目におびえながら生きなければならない状況になっています。だからこそ僕は、「よろしかったでしょうか」ぐらいの間違いは、いちいち指摘しない風潮になっていくべきだと考えています。

 

そもそも、「よろしかったでしょうか」は、完全な間違いとは言い切れない

 

僕は冒頭で、「よろしかったでしょうか」は間違った敬語だと書きました。しかし、あくまでそれは、「辞書的な意味で」間違っているというだけにすぎません。

日常用語としては、むしろ理にかなっている言葉であり、むしろとても素晴らしい言葉だと僕は思っています。その理由は・・・

 

言葉は、過去形にすると「遠まわし」になる

 

言葉というものは、過去形にすることによって「遠まわし」な表現になります。これは日本語だけでなく、世界的に見てもそうです。たとえば英語でも、「Can you~?」よりも「Could you~?」の方が丁寧な表現だと授業で教わりましたよね?

「丁寧」ということは、相手と距離を取るということです。自分の「ツレ」の場合は、近しい関係になるので、言葉も丁寧にしなくていいですよね?でも、目上の人だったりした場合は、距離を取らなければなりません。つまり、表現は「遠まわし(=丁寧)」になります。

で、その「遠まわし(=丁寧)」な表現を作るために使うのが、「過去形」というわけです。

 

人間の心理として、過去形にすると表現が遠まわしになる

 

「過去形にすると”遠まわしな表現”になる」――これは、人間の自然な心理です。たとえば、あなたがちょっと失礼なことを会社の同僚に言ったとします。そのとき、もしかしたらあなたは、こう言うかもしれません。

「ごめん、ごめん。もしかして怒っちゃった?」

と。「怒っちゃった」は過去形ですよね?このように、人間の自然な心理として、気まずいことを言うときには表現は遠まわしになるのです。で、遠まわしにする手段として、「過去形」を使う、というわけです。

そうではなく、「もしかして怒ってる?」と現在形で言うとどうでしょうか?直接的すぎますよね。 過去形で言った方が、「悪いこと言っちゃったかな」という雰囲気が出てます。

 

 

「よろしかったでしょうか?」に当てはめて考えてみると・・・

 

これを、「よろしかったでしょうか?」に当てはめて考えてみましょう。

「よろしかった」と、過去形になっていますよね?だからこそ、「遠まわしな印象」を相手に与えます。つまり、丁寧に聞こえるわけですね。

もし、「よろしいでしょうか?(現在形)」と言ってしまうとどうなるでしょうか?なんか、直接的すぎて失礼な感じがしませんか?

そういう失礼な印象を避けるために、「よろしかったでしょうか」という言葉が自然発生的に生まれたのでしょう。たしかに、敬語としては間違っていますが、「遠まわしに言おうとしている」という意味では、理にかなっています。

なので、言われても全然気にする必要のない言葉ですよ。

 

以上、天野カズからの、あなたへのアウトプットでした。いつも僕のYouTubeトークを聴いていただき、そしてこのブログに訪れていただき、本当にありがとうございます!