いつも誰かに裏切られてしまう
そして傷ついてしまう
もし、そんなことばかり
続くのなら
それは
他人に期待している
ということです。
これは言い換えれば、
自分に期待していないことを
意味します。
自分を信頼せずに、
他人を信頼しているのです。
自分を信頼しましょう。
他人ではなく、
自分を信頼しましょう。
★
いつも誰かに裏切られてしまう
そして傷ついてしまう
もし、そんなことばかり
続くのなら
それは
他人に期待している
ということです。
これは言い換えれば、
自分に期待していないことを
意味します。
自分を信頼せずに、
他人を信頼しているのです。
自分を信頼しましょう。
他人ではなく、
自分を信頼しましょう。
★
自分が行動する基準として
・いいことがあればする
・いいことがないなら、やらない
という軸で生きている人。
あなたは、
そういう人をどう思いますか?
尊敬できますか?
友達になりたいですか?
たとえば・・・
利他の実践。
これに関して、
・利他を実践して、いいことが
あるならやる。
いいことがないなら、
やらない。
こういうことをいちいち
考えてしまうのであれば・・・
その人は、人間的に醜い。
そんな気がしませんか?
考えてみてください・・・
利他の実践――
これは、いいことがあるから、
やるものでしょうか?
そうではないはずです。
誰もが持っている、
本質的な「良心」からくる
行動のはずです。
本質的であるということは、
自然であるということです。
自然であるということは、
草が伸びるように、
鳥が飛ぶように、
猫が走り回るように、
「自然な力学」に基づいて
動いているということです。
事実、
草は、誰が教えることもなく、
伸びていきます。
なぜ?
草は伸びるものだからです。
鳥は、誰が教えることもなく、
自由に空を飛びます。
なぜ?
鳥は、飛ぶものだからです。
猫は、誰が教えることもなく、
野をかけまわります。
なぜ?
猫は、走るものだからです。
これと全く同じです。
人間が、
・利他を実践したい
と思うのは、
人間には良心がそなわっており、
誰が教えることもなく、
人を助けたい、
と思うものだからです。
にもかかわらず・・・
・利他を実践して、いいことが
あるならやる。
いいことがないなら、
やらない。
というのは、
もはや人間として生きていない
ことを意味します。
そして・・・
現実世界を見ると、ほとんどの人は、
人間として生きていません。
なぜなら、
・利他を実践して、いいことが
あるならやる。
いいことがないなら、
やらない。
と考えているからです。
つまり、
「損得勘定」という、
「表面的な領域」で生きてしまって
いるのです。
これはものすごく
「不自然な生き方」です。
不自然に生きるということは、
不自然なことが起きる
ということです。
不自然なこととは、
・不幸なこと
です。
というのも、本来、この世界は、
愛で出来ているため、
人間が人間として生きていれば、
・不幸なこと
など起こるはずがないのです。
でも、実際のところ、
現実世界では、
人は争い、憎しみ合い、
不安におびえながら生きています。
また、たちの悪いことに、
その不安を利用して経済活動が
活発になったりもするので、
わざわざ不安を
増幅させるようなことを、
人は自ら起こします。
たとえば・・・
・挑発して戦争を起こす
・不安を煽るCMを流して商品を売る
・小さな不祥事を大々的に報じて
視聴率を稼ぐ
といったことですね。
・・・もうそろそろ、
人間になりませんか?
人間として生きませんか?
いいことがあるとか、
いいことがないとか、
そんなことは関係なく、
人間にもともと備わっている
・良心
に基づいて、
・善なる方向
に向かって生きませんか?
少しでも伝われば、幸いです。
(⁎•ᴗ‹。)!
★
全てのものは、
存在しているだけで素晴らしいのです。
あなたも、
存在しているだけで素晴らしいのです。
そして・・・
全ての動物・植物・昆虫は、
彼ら自身、
存在しているだけで素晴らしいことを
知っています。
事実、
自己否定する動物はいませんよね?
自己否定する植物はいませんよね?
自己否定する昆虫はいませんよね?
それぞれが、それぞれらしく、
生き生きと、存在しています。
ただ・・・
人間は、
「自分は存在しているだけで
素晴らしい」ということを
すっかり忘れてしまっています。
ただそこにいるだけで、
ただ生きているだけで、
素晴らしいのに・・・
いや、それどころか・・・
実は、
たとえ今生の人生を終えても
「存在」は残るのです。
たとえば、
目に見えないエネルギーとして、
人々の記憶として、
風として、
土として、
残るのです。
そしてそれは、確実な「存在」だし、
絶対的に、素晴らしいのです。
それは「揺るがない事実」なのです。
にもかかわらず・・・
人間は、自分のことを、
「存在しているだけで素晴らしい」
とは、思えなくなって
しまっています。
その結果、
人間は、
自分の存在の価値を確認するために、
・他人と比較をする
ということをしてしまうのです。
そして、そのことで、
多くの悩みを抱え、苦しむのです。
でも・・・
本来、このような悩み、苦しみは、
持つ必要はありません。
なぜなら、全ては、
存在するだけで素晴らしいのですから。
当然、あなたも、
存在するだけで素晴らしいのです。
そのことを確認するために、
他人と比較ばかりしている日常
から離れて、静かに内観し、
自分の内側にある、
・確かな存在
を、日々、感じる習慣をつけましょう。
そうすることで、
「私は、存在するだけで素晴らしい」
という、本来の感覚――
つまり、
あなたが赤ちゃんのときに
持っていた感覚――
を、思い出すことができます。
すると、もう不安はなくなりますよ。
どうか、安心して、毎日を機嫌よく、
過ごしてくださいね。
(⁎•ᴗ‹。)!
★
世の中で「主役」と見られている人、
いますよね。
たとえば、
何かのトップにいる人。
舞台の真ん中にいる人。
このような人です。
そして、そのまわりを見ると、
「脇役」とされている人が
配置されています。
そうですね・・・
イメージ的に言うと、
舞台の真ん中で歌っているシンガー。
それが「主役」です。
そして、そのまわりで、
そのシンガーの魅力を、
より引き立てるようにして
踊っているダンサー。
これが「脇役」。
このような構図ですね。
★ ★ ★
さて・・・
この構図を見て、おうおうにして人は、
「私は、主役になりたい」
と願うものです。
場合によっては、
「脇役には意味がない」
と思うことすらあります。
そして・・・
「私は主役でなければならない」
という強迫観念にとらわれ、
常に他人と比較をし、
傲慢になったり卑屈になったり・・・
そんなエゴにまみれた人生を
送ることになるものです。
たしかに、
「私は主役でなければならない」
という視点で「脇役」を見ると、
「脇役」の人たちは、
いったい何が楽しくて
そんな役に甘んじているのか、
わからないでしょう。
そう・・・
なぜ、わざわざ「脇役」として、
「主役」のシンガーを盛り上げなきゃ
いけないのか。
全くわからないでしょう。
でも・・・
実は、
「脇役」のダンサーの意識の中では、
・自分が「主役」
なのです。つまり・・・
・ダンサーとして頑張っている
という「映画」のような世界を、
その人は生きているのです。
まさにその映画の「主役」なのです。
そして・・・
その「映画」の中では、むしろ、
・シンガーの方が「脇役」
なのです。
そうです。そうなんです。
人は誰しも、「主役」なんです。
たとえ総理大臣や大統領が、
あなたの物語の中に出てきたとしても、
あなたの物語の中では、
総理大臣や大統領の方が「脇役」
なのです。
あなたの人生の「主役」は、あなた――
それがわかれば、
他人と比較して落ち込んだり、
すねたり、むくれたりすることが
なくなるはずです。
大事なことなので、もう一度言います。
あなたの人生の「主役」は、あなた――
なのです。なので、
必死になることもないし、
焦ることもないし、
傲慢になることもないし、
卑屈になることもないのです。
安心して、思いっきり、
あなたの人生をエンジョイしましょう。
(⁎•ᴗ‹。)!
★
悩んで悩んで悩みぬいて
ふと力が抜けたときに
精神のレベルは一段、向上している。
だから、
悩むことをことさら、
嫌がる必要はないんだよ。
悩みは苦しいものだけど、
同時に暖かいものでもあるんだ。
★
「”いい人”だと思われたい」
というモチベーションで、
まわりに貢献しても、
それは本心ではないので、
エネルギーが汚れている。
汚れているから、
汚れている人を引き寄せる。
そして結局は、
支配されちゃうんだよね――
★
言霊の力であなたの人生を変える、コーチ天野です。
今回は、「嫌な人との接し方」についてお話します。
まず、以下の記事で、
・本当の世界は「愛」であり「ワンネス」である
ということをお話しました。
【参考記事】自分を無条件で愛する方法【自分を本当の意味で好きになるメカニズム】
この記事を簡単にまとめると・・・
「本当の世界」はオーケストラの交響曲のように完璧で、全てがシンクロしている。
でも、人は物事を局所的にしか見ることができないので、全てが関連しているようには思えず、それどころか誰かを敵対関係にすら見てしまう。
その見方は「本当の世界」の一部だけを見て、しかも妄想で「ありもしないこと」を膨らませて構成した「エゴの世界」の見方である。
・・・このような内容でした。
でも、ここでこんな疑問を持つ方もおられると思います。
・「本当の世界」が「愛」であり全てはシンクロしているのはわかった。とはいえ、現実として嫌な同僚もいるし、毒親もいる。これは「明らかな敵」としか思えない。そういう人たちも「味方」だと思えということなのか?どうもしっくりこない・・・
と。今回は、このような疑問へのお答えになります。
それは、
・本質的には感謝し、実質的には遠ざける
ということです。たとえば「嫌な同僚」の場合は、自分に敵意を向けてきているのですから、わざわざ「ありがとう」なんてことを言う必要はありません。
そんなことを言ったら、相手はますます付け上がり、嫌がらせを強めてくるでしょう。
なので、遠ざけることが大事です。もちろん、敵対心むき出しに、ではなく、「しれっとスルー」するイメージで、その同僚となるべく接触を持たないようにするのです。
これは家族に関しても同様で、毒親の場合は、完全に別居して、連絡も断つ。最低限の連絡しかしない。場合によっては縁を切る。このようなことも必要になってきます。
ただ、それはあくまで「エゴの世界」での対処法です。
というのも、リアルの世界は、「エゴの世界」で構成されています。つまり、人は「本当の世界」からかなりかけ離れた、「目に見える部分」だけを抽出した、局所的な世界観を作っているのです。
しかもそれを、「社会の規範」や「個々人の価値観」というものを基盤に「ありもしない妄想」を膨らませて、それで確定させた世界観を作っている。
これが、今、私たちが見ている「リアルの世界(エゴの世界)」なのです。
このように、私たちが見ているのは「リアルの世界(エゴの世界)」である以上、そこで起きる現象には対処していかなければなりません。
それこそがまさに、
・嫌な同僚や、毒親とは接点を持たない
という部分なのです。
しかし・・・
それはあくまで、「本当の世界」に合わせたわけではありません。「本当の世界」は「愛・ワンネス・すべて」なのです。だとするならば、
・遠ざける
・拒否する
という対応法は、「本当の世界」からすると「不自然」だということになります。「不自然」である以上、「不自然な結果」になります。つまり、あまり幸せではない状況に自分が追い込まれる、ということですね。
だからこそ!
・本質的には感謝する
ことが必要なのです。つまり・・・
嫌な同僚や毒親は、本来は「愛あふれる存在」なのです。しかし、たまたまあなたとの人間関係においては、「嫌な人間」という役割を演じてくれている。
いわば、神があなたに「嫌な同僚・毒親」を使ってあなたに試練を与えているのです。
というのも・・・
すでに述べたとおり、この世界は、完璧です。すべてがシンクロしていて、すべてが関連しています。そして「愛」という完全状態を形成しています。
だとするならば、「嫌な人間」が目の前にいるということも、神からすれば「愛」という完全状態を形成するのに必要なのです。
それが、人間にはわからないだけなんです。なにせ、人間は局所的にしかモノを捉えることができませんから。
でも・・・
これはオーケストラの曲を思い出してみるとわかると思いますが、「ひとつの楽器」だけに注目すると、おかしな旋律を弾いている場合がありますよね?
でも、全体として合わせると、そのフレーズも、完璧にハーモニーの一部になっています。
他の例を言うと、
ポップスの曲で、Bメロ部分は「地味で陰気な感じ」になることがありますよね。
でもそれは、「曲全体」として見ると完璧です。なぜなら、その「地味で陰気なフレーズ」があるからこそ、サビが生きるわけですから。
他の例だと、
映画で、主人公が苦境に立たされる場面がありますよね?でも、映画全体として見ると、それはハッピーエンドへの布石だったりします。
このように、物事は「一部だけ」を見ると「悪く見える」ことはよくあるんです。でも、それは、全体として見ると、実は完璧なんですね。
なぜなら、「本当の世界」は「愛」であり「ワンネス」であり「完全状態」ですから。
なので、あなたに嫌がらせをしてくる同僚、毒親は、あなたの人生に必要だから存在しているんです。
もし、彼らがいなかったら、あなたは人生で大事なことを学ばず、全く成長しないまま一生を終えてしまうかもしれません。
そうならないために、神があなたに試練として用意したのが「嫌な同僚・毒親」なのです。
なので、わざわざ「嫌な人間」を演じてくれている彼らに、
・本質的には感謝する
ことが大事なんですね。そうすれば「本当の世界」とあなたがつながります。つながるということは、あなたは「本当の世界」の論理で生きる、ということになります。
そして、そういう生き方は「自然」です。「自然」ということはうまくいくんです。つまり、幸せな人生になっていくんです。
どんなことでもそうですが、「自然」なことはうまくいく一方、「不自然」なことはうまくいきませんよね?
不自然なこと、というのは、たとえば川の流れに逆らって泳ぐようなものです。それは不自然なんです。不自然だから、ケガもするし、なかなか進みません。
こうならないよう、自然に生きることが大事なんです。そのためには、
・本質的には感謝する
必要があるわけなんです。で、それは具体的に言うと、
・心の中で感謝する
ということです。最初の方にも書きましたが、実際に口で伝える必要はありません。なぜなら、感謝などすれば必ず、彼ら(嫌な同僚、毒親)は付け上がりますから。
なので実際には「スルー」をする。でも、「心の中では感謝」する。
こういうスタンスですね。
伝わりましたでしょうか?
ぜひ、あなたの人生に、今回の考えを有効活用してみてくださいね。
人生は、楽しいものです。
あなたは、もっともっと幸せになります。
応援していますよ。
頑張っていきましょう!
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