自分が行動する基準として
・いいことがあればする
・いいことがないなら、やらない
という軸で生きている人。
あなたは、
そういう人をどう思いますか?
尊敬できますか?
友達になりたいですか?
たとえば・・・
利他の実践。
これに関して、
・利他を実践して、いいことが
あるならやる。
いいことがないなら、
やらない。
こういうことをいちいち
考えてしまうのであれば・・・
その人は、人間的に醜い。
そんな気がしませんか?
考えてみてください・・・
利他の実践――
これは、いいことがあるから、
やるものでしょうか?
そうではないはずです。
誰もが持っている、
本質的な「良心」からくる
行動のはずです。
本質的であるということは、
自然であるということです。
自然であるということは、
草が伸びるように、
鳥が飛ぶように、
猫が走り回るように、
「自然な力学」に基づいて
動いているということです。
事実、
草は、誰が教えることもなく、
伸びていきます。
なぜ?
草は伸びるものだからです。
鳥は、誰が教えることもなく、
自由に空を飛びます。
なぜ?
鳥は、飛ぶものだからです。
猫は、誰が教えることもなく、
野をかけまわります。
なぜ?
猫は、走るものだからです。
これと全く同じです。
人間が、
・利他を実践したい
と思うのは、
人間には良心がそなわっており、
誰が教えることもなく、
人を助けたい、
と思うものだからです。
にもかかわらず・・・
・利他を実践して、いいことが
あるならやる。
いいことがないなら、
やらない。
というのは、
もはや人間として生きていない
ことを意味します。
そして・・・
現実世界を見ると、ほとんどの人は、
人間として生きていません。
なぜなら、
・利他を実践して、いいことが
あるならやる。
いいことがないなら、
やらない。
と考えているからです。
つまり、
「損得勘定」という、
「表面的な領域」で生きてしまって
いるのです。
これはものすごく
「不自然な生き方」です。
不自然に生きるということは、
不自然なことが起きる
ということです。
不自然なこととは、
・不幸なこと
です。
というのも、本来、この世界は、
愛で出来ているため、
人間が人間として生きていれば、
・不幸なこと
など起こるはずがないのです。
でも、実際のところ、
現実世界では、
人は争い、憎しみ合い、
不安におびえながら生きています。
また、たちの悪いことに、
その不安を利用して経済活動が
活発になったりもするので、
わざわざ不安を
増幅させるようなことを、
人は自ら起こします。
たとえば・・・
・挑発して戦争を起こす
・不安を煽るCMを流して商品を売る
・小さな不祥事を大々的に報じて
視聴率を稼ぐ
といったことですね。
・・・もうそろそろ、
人間になりませんか?
人間として生きませんか?
いいことがあるとか、
いいことがないとか、
そんなことは関係なく、
人間にもともと備わっている
・良心
に基づいて、
・善なる方向
に向かって生きませんか?
少しでも伝われば、幸いです。
(⁎•ᴗ‹。)!
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