
よく、「私はADHDだ」とか、「私はアスペルガー症候群だ」と自分をカテゴライズしている人がいます。
こういうことには、大きなデメリットがあります。
今回は、2つに絞ってお話します。
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ひとつ目のデメリットは「ADHDやアスペルガーであることが『セルフイメージ』になってしまう危険性」があることです。
人生を生きるにおいて、どんな人でも、なんらかの「セルフイメージ」を持っています。
その「セルフイメージ」が、人生を決めます。
たとえば、アーティストの矢沢永吉さんの有名な言葉に、以下のものがあります。
「ボクは別にいいんだけど、YAZAWAがなんて言うかな?」
これは、矢沢永吉さんが「YAZAWA」というセルフイメージを持って生きていることを示しています。
「YAZAWA」とは、みんなが知っている、あの「YAZAWA」です。
才能あふれるアーティストであり、器が大きく、どんな逆境もはねのける、あの「YAZAWA」です。
矢沢さんも、うまくパフォーマンスできなくて悩んだり、小さなことにクヨクヨしそうになったりしたことはあるでしょう。
しかし、セルフイメージとして「YAZAWA」を掲げているため、そのイメージに引っ張られるようにして、さまざまな困難をはねのけたのだと思います。
では、もしあなたが、
「私はADHDだ」というセルフイメージを持っていたらどうなるでしょうか?
「ボクは別にいいんだけど、ADHDとしての自分がなんて言うかな?」
と常に自分に問い続けながら生きる人生になる、ということになります。
つまり、人生のあらゆる局面で、
・いかにも「ADHDらしい行動」を選択していくということになります。
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ふたつ目のデメリットは、「他責思考になってしまう危険性」があることです。
つまり、人生で辛いことがあったときに、それを「自分の責任」だと考えずに「ADHDのせい」ということにしてしまうということです。
これの何がまずいか、というと、「自分の責任」だと考えると、自分でコントロールできますよね。
・次からはこうしてみよう
というように、創意工夫ができる、ということです。
でも、「ADHDのせい」ということにしてしまうと、自分で創意工夫できる余地がなくなってしまいます。
できるとすれば、「ADHDを治す」ことくらいです。
他責思考の人は、自分で創意工夫することをしないので、常に人生の主導権が他人に握られてしまいます。
・会社のせいで行動できない
・家族のせいで行動できない
・友達のせいで行動できない
・・・というように。
これは、自分の人生の主導権が「会社や家族や友達」に握られている状態です。
これと同じように、
・ADHD、アスペルガーのせいで行動できない
としてしまったら、もう、自分では何もできなくなってしまいますよね。
人生の主導権が「ADHD・アスペルガー」に握られてしまっていることになります。
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以上、説明してきたとおり、自分を「ADHDだ」「アスペルガー症候群だ」とカテゴライズしてしまうことには、大きなデメリットがあります。
なので、ここは気を付けていきたいところですね。
あなたはもっともっと、幸せになる存在です。
自分にマイナスのイメージを植え付けず、もっともっと、大事にしてあげてください。
頑張っていきましょう!
<追記>
なお、私は精神科で10年以上前に、「アスペルガー症候群のグレーゾーン」だと診断されています。なので、私自身も一時期は、自分を「アスペルガー」だと決めて生きていた時期があります。
しかし、今はその危険性がわかっているため、必要以上に気にしないことにしています。
その結果、今は「アスペルガー的」な性格特性はほとんどなくなっています。