
言霊の力で人生を変えるコーチ・天野和幸です。
「正直者が馬鹿を見るという現象」、よく起きますよね。今回はこの原因と対策を説明します。
まず、原因。それは大きく分けて二つあります。
ひとつは、「正直さ」の中に「邪念」がある場合です。つまり、
・良い人だと思われたい
・正直にふるまえば、後で何かメリットがあるかもしれない
という「邪念」です。この場合、本人は純粋な「正直な心」から行動しているわけではありません。 で、そのことはまわりに雰囲気として伝わります。だから、まわりの人は軽く扱ってくるんですね。
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そしてもうひとつの原因。それは、「自然の法則に一致していない」場合です。つまり「不自然」なんですね。不自然だから、当然、まわりの人は違和感を感じます。その結果、軽く扱ってくる、というわけです。
では、なぜ「不自然」になってしまうのでしょうか。それは「世間体」に合わせようとしているからです。
つまり、その人の「正直さ」というのは、あくまで「世間体」に照らし合わせたうえでの「正直さ」であって、本当の意味での「正直さ」ではないんですね。
というのも、そもそも「世間体」そのものが「自然の法則と一致していないもの・状態」なのです。
「自然の法則」はこの世界・宇宙の絶対真理なのに対して、「世間体」は社会・秩序を成り立たせるための表面的な一要素にすぎません。
そういう「世間体」に合わせたうえでの「正直さ」は本当の意味での「正直」ではないんです。つまり、先に書いたとおり、「不自然」なものなんですね。当然、これではまわりの人に軽く見られてしまうわけです。
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では、いっそ「正直」に生きずに、小狡く立ち回った方がいいのでしょうか。もちろん、それは違います。そういう生き方では、幸せになれません。
ではどうするか。それは「本当の意味での正直者」になることしかありません。
「本当の意味での正直者」とは、
・邪念がない
・ひたすら純粋
・自然の法則に一致している
という人です。ちょうど、イメージ的には宮沢賢治の詩「雨にも負けず」の主人公のような感じですね。
――「雨にも風にも負けず、嬉しいときにはみんなと一緒に笑う。悲しいときにはみんなと一緒に悲しみ、励ます。デクノボーと言われても気にせず、ただただ日々をたくましく生きている。」
こんな状態です。ここには邪念がありません。「純粋な心」で生きています。みんなと一緒に笑ったり泣いたりするのも、世間体からではなく、「純粋な心」からです。
こういう「本当の意味での正直な人」を、人は軽く見たりはしません。なぜなら、「本当の意味での正直さ」は人に伝わり、心を打ちますからね。
だから、もしあなたが「私は正直に生きてるのに、いつも馬鹿を見るよなあ」と感じている場合は、もしかしたら「本当の意味での正直」という状態に至っていないのかもしれません。
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「本当の意味での正直」な状態というのは、とても奥が深いものです。人生経験を積んで、たくさん失敗をして、たくさん嫌な思いをしてからでないと至れません。
なので、日々の「嫌な出来事」を、自分の糧に変えつつ、少しでも「本当の意味での正直な人間」に近づく意識を持ちましょう。
いわば、人生は、そのための「修行」だと思えば、嫌なことにも意味を見いだせて、自分の成長を楽しむことができますよ。
あなたは、もっともっと幸せになります。それはもう、確定しています。