常識に縛られないところが君の良さ【画像アファメーション】◆発達障害◆アスペルガー症候群◆ADHD

君の良さ

 

発達障害・アスペルガー症候群・ADHDの方のためのアファメーション

常識にしばられないところが君の良さ。
常識を飛び越えることができるのが君の良さ。
その良さを大事にしよう。

常識を押し付けてくる人がいるけど、
そんなの気にせずに、
君の良さをそのまま出していこう。

 

【このアファメーションの有効活用法】

①毎日、見る
②印刷して壁に貼るとなお、効果的
③それだけでなく、必ず「利他」を実践するとさらに効果的

毎日見ることで、アファメーションが細胞レベルであなたに浸透します。
するとあなたの「行動」が全て適正なものになっていきます。

そして、必ず「利他」の実践を忘れないようにしてください。
「叶えたい!」と思うだけでは、エネルギーが一方的です。
「利他」を実践することで初めて、エネルギーが「循環」するのです。

「循環」を生むために、ほんのちょっとしたことでいいので、誰かのために「あなたにできること」をしてあげましょう。

そうすることで、あなたの理想は叶います。

「いまここ」を楽しみながら、
色んなことを実現させていきましょうね。

Peace begins with a smile.
(平和は微笑みから始まります)

―マザー・テレサ

 

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「流れ」に乗って物事を進めるためには「邪念」をなくしていくことが大事

 

言霊の力で人生を変えるコーチ、天野和幸です。

 

今回は、私がコーチングしているクライアントさんとのメッセージのやり取りの中から抜粋して、皆さんに学びになる部分を共有します。

(もちろん、プライバシー部分は削除済みです)

最近、とあるクライアントさんから、「希望していた業界に転職できた」とのご連絡をいただきました。

つまり、クライアントさんに「良い流れ」が来ているわけです。

このクライアントさんは、コーチングを開始して依頼、エゴを極力、小さくして、まわりにプラスのエネルギーを運ぶことを意識していました。

具体的には、

・まわりを励ます

・一日一回は、まわりを笑わす

・まわりに感謝の心を行動で示す

などですね。その結果、「良い流れ」が来て、希望していた業界に転職を成功させることができたというわけです。

このように、「良い流れ」は邪念のない場所に訪れます。さらに言えば、「ワクワクしている状態(フロー状態)」に入っているときにも訪れるのです。

以下、私がクライアントさんに送ったメッセージです。皆さんもぜひ、お読みいただき、人生をより良くするためのヒントをつかんでいただけたら、と思います。

 

~~~~~(引用ここから)~~~~~

〇〇さん、おめでとうございます!

いい感じの流れが来ていますね!

「真理・自然の法則の大きな流れ」なのかと思うと、うまくできているものだなぁと感じました。

(クライアントさんのメッセージより)

そうなんですよね~。

いわゆる「邪念」がない状態。これが流れにのるためには重要です。 素直な感じ、というか。

その逆は「打算」「エゴ優位」「邪念」です。

もちろん、エゴを使ってやる気を出し、打算で計算して物事を進めていくことも重要です。

でも、そのマインドがメインになってしまうと、うまくいかないんですよね。

いわゆる「頭で考えてばかり」の状態です。

★ ★ ★

たとえば、ダンスも、「頭で考えてばかり」では固い動きになりますよね。

一方、多少の動きの間違いは気にせず、音楽に合わせて楽しく体を動かせば、全体的に良い感じになりますよね。

他には、映像を作るときも、字幕をしっかり合わせる、などのことは大事です。 でもそれは「頭で考えている」状態ですよね。

それよりも、作業に没頭して、楽しく、フロー状態に入りながら編集をする。

そうすると、多少、音と映像のタイミングがズレていても、全体的に完成した作品を通してみたときに、あまり気にならないのです。

むしろ、タイミングのズレが良いグルーブを生んで、作品に彩りを加えることすらありますよね。

★ ★ ★

これは仕事の人間関係でも同じです。

ミスしてもあまり問題にならない人がいる一方で、ちょっとしたミスが仕事に大きな影響を与えてしまう人もいます。

これも、「流れ」に乗っているかどうか、の違いなのです。

「流れ」に乗っていれば、多少、ミスしても、むしろそれが味になったりもします。

というのも、正確であればそれでいいか、というとそうでもなく、人間がやることですから、バグやミスはあるわけです。

でも頭で考えてばかりの人は、たとえ仕事が正確でも、なんか息苦しい仕事ぶりになってしまいます。

で、そういう人がミスをすると、とても大きなミスに見えてくるんですね。

これ、伝わりますかね?

う~ん。

★ ★ ★

歌で例えてみましょうか。

いわゆる「ヘタウマ」な人っていますよね。

そういう人って、音程もリズムも狂いまくっています。

でも、全然、気になりませんよね。

なぜなら、「流れ」に乗っているからです。

一方で、頭で考えて歌っている人の場合、全体的には音程が合っていても、一部が狂っただけで、とても気になってしまいますよね。

まあ、こういう感じです。

ともかくも、「自然の流れ」にのって、フロー状態に入って物事を進める。

そうすると、人間関係の縁も不思議につながって、今回の〇〇さんのように、物事が前進したりするんですね。

いずれにしても、あまり固くならずに、リラックスして、やりたい方向性をひたすら追求していきましょう!

 

~~~~~(引用ここまで)~~~~~

 

いかがでしょうか?

あなたの人生は今、順調ですか?

もし順調でないとするなら、行動に「邪念」が多く入っていたり、ワクワク感が足りなかったりするのかもしれません。

ぜひ、邪念のない、純粋な、ワクワクしたマインドをまずは作ることを意識してみてください。

そのためには、自分を無条件で承認してあげることが大事です。

いつも頑張っている自分を、子供をあやすかのように、よしよし、と心の中で頭をなでてあげて、認めてあげる。

それを日々、繰り返していると、心がだんだん、「純粋な状態」に近づいてきます。

そうなると、「良い流れ」が押し寄せてきますよ。

あなたは、もっともっと幸せになります。それはもう、確定しています。

頑張っていきましょう!

願望が強迫観念に変わってしまったときは、いったん休憩しよう

 

言霊の力で人生を変えるコーチ、天野和幸です。

・こうなりたい

・こうありたい

・あれが欲しい

こういう思い。誰もが抱きますよね。 目標・願望があるから、人間って躍動感をもって生きることができるものです。

でも、時として、その願望が、

 

・絶対にこうでなければならない

・こうならないと恥ずかしい

・こうなっていない自分は負け組だ。なんとかしないと!

 

こんな「強迫観念」に変わってしまうことがあります。

そして、深い悩みの中に入っていくんですね。

★ ★ ★

すごく悩んでいる人の話を聞いていると、そんなに大したことで悩んでいないケースがよくあります。

そもそもを考えればわかりますけど、我々は先進国・日本に住んでいるわけです。

 

・蛇口をひねれば水は出る。

・道路は整備されている。

・社会のシステムも整っている。

 

普通に生きていくにおいて何の不足もありません。

なのに、「深い悩み」を抱くということは、その人は、悩むだけの悲しい事情があるんだろう、と思ってしまうのですが・・・

実際に話を聞いてみると、そこまで悩むことかな?と思えるケースがよくあります。

で、そういうケースで多いのが、抱いた願望が「強迫観念」に変わっている、というケースです。

願望がいったん「強迫観念」に変わってしまうと、ともすれば、

 

・こうでなければならない

・こうでないのは許せない

・こうでない原因を作っているのはきっとあいつだ!

・あいつのせいで自分の人生が停滞してるんだ!あいつを何とかしないと!

 

・・・というように、他人をコントロールしようとする思考に陥ってしまいます。

こうなると、人間関係は崩壊し、どんどん、幸せから遠ざかっていきますよね。

なので、もし「願望」が「強迫観念」に変わっているな、と感じたら、まずは一回、その願望を手放してしまいましょう。

そうすると、すごくラクになりますよ。

で、しばらくは全てを忘れて旅行に行ったり、本を読んだりして過ごしてみましょう。

いわば、「疲弊してしまった心」の「充電」をするわけですね。

★ ★ ★

そして、十分に気力が回復したら、再び願望を抱いてみましょう。

 

・こうなりたい

・こうありたい

・あれが欲しい

 

・・・と。

夢が広がりますね!

冒頭にも書いたとおり、願望があるから人は躍動感を持って生きることができます。

なので、願望を持つことは、とてもいいことなんですよ。

でも、今度は、それが「強迫観念」に変わらないように気を付けながら、他人と比較せず、世間体も気にせず、ただ純粋な「願望」を抱いて、楽しく毎日を過ごすようにしてみてくださいね。

あなたは、もっともっと幸せになります。

人生いろいろですけど、頑張っていきましょう!

 

「正直者が馬鹿を見る」という現象が起きてしまう原因と対策

 

 

言霊の力で人生を変えるコーチ・天野和幸です。

「正直者が馬鹿を見るという現象」、よく起きますよね。今回はこの原因と対策を説明します。

まず、原因。それは大きく分けて二つあります。

ひとつは、「正直さ」の中に「邪念」がある場合です。つまり、

 

・良い人だと思われたい

・正直にふるまえば、後で何かメリットがあるかもしれない

 

という「邪念」です。この場合、本人は純粋な「正直な心」から行動しているわけではありません。 で、そのことはまわりに雰囲気として伝わります。だから、まわりの人は軽く扱ってくるんですね。

★ ★ ★

そしてもうひとつの原因。それは、「自然の法則に一致していない」場合です。つまり「不自然」なんですね。不自然だから、当然、まわりの人は違和感を感じます。その結果、軽く扱ってくる、というわけです。

では、なぜ「不自然」になってしまうのでしょうか。それは「世間体」に合わせようとしているからです。

つまり、その人の「正直さ」というのは、あくまで「世間体」に照らし合わせたうえでの「正直さ」であって、本当の意味での「正直さ」ではないんですね。

というのも、そもそも「世間体」そのものが「自然の法則と一致していないもの・状態」なのです。

「自然の法則」はこの世界・宇宙の絶対真理なのに対して、「世間体」は社会・秩序を成り立たせるための表面的な一要素にすぎません。

そういう「世間体」に合わせたうえでの「正直さ」は本当の意味での「正直」ではないんです。つまり、先に書いたとおり、「不自然」なものなんですね。当然、これではまわりの人に軽く見られてしまうわけです。

★ ★ ★

では、いっそ「正直」に生きずに、小狡く立ち回った方がいいのでしょうか。もちろん、それは違います。そういう生き方では、幸せになれません。

ではどうするか。それは「本当の意味での正直者」になることしかありません。

「本当の意味での正直者」とは、

 

・邪念がない

・ひたすら純粋

・自然の法則に一致している

 

という人です。ちょうど、イメージ的には宮沢賢治の詩「雨にも負けず」の主人公のような感じですね。

――「雨にも風にも負けず、嬉しいときにはみんなと一緒に笑う。悲しいときにはみんなと一緒に悲しみ、励ます。デクノボーと言われても気にせず、ただただ日々をたくましく生きている。」

こんな状態です。ここには邪念がありません。「純粋な心」で生きています。みんなと一緒に笑ったり泣いたりするのも、世間体からではなく、「純粋な心」からです。

こういう「本当の意味での正直な人」を、人は軽く見たりはしません。なぜなら、「本当の意味での正直さ」は人に伝わり、心を打ちますからね。

だから、もしあなたが「私は正直に生きてるのに、いつも馬鹿を見るよなあ」と感じている場合は、もしかしたら「本当の意味での正直」という状態に至っていないのかもしれません。

★ ★ ★

「本当の意味での正直」な状態というのは、とても奥が深いものです。人生経験を積んで、たくさん失敗をして、たくさん嫌な思いをしてからでないと至れません。

なので、日々の「嫌な出来事」を、自分の糧に変えつつ、少しでも「本当の意味での正直な人間」に近づく意識を持ちましょう。

いわば、人生は、そのための「修行」だと思えば、嫌なことにも意味を見いだせて、自分の成長を楽しむことができますよ。

あなたは、もっともっと幸せになります。それはもう、確定しています。

頑張っていきましょう!

 

物事がうまくいかないときは、上手に「あきらめて」みよう

手放す 上手にあきらめる

 

あなたは今、「物事がうまくいかない」と深く悩んでいるかもしれません。そんなときに有効なのが、「あきらめる」という考え方です。

「あきらめる」というのは、ネガティブに捉えられがちですよね。

だから、あなたはつい思ってしまうのです。「あきらめたら、まわりにバカにされるんじゃないか」と。それに、あなたには「その道」に未練があることでしょう。だからあきらめるわけにはいかない。そんな心理も働くんですね。

でも、結局は「あきらめた」方がいいんです。あきらめたら、パーっと視界が開けてくるんです。次々と、新しい展開が生まれてきます。そして、今まであなたを苦しめていた「深い悩み」が一気に溶けていきます。

でも・・・

あなたは思うかもしれません。「そうは言っても、あきらめるなんて、やっぱり良くないことだよ」と。ではなぜ、そう思ってしまうのでしょうか。それは、「あきらめる」という言葉の、「ネガティブ面だけ」を見ているからです。

たしかに、「あきらめる」という言葉にはネガティブな側面があります。その意味での「あきらめる」は、人生をマイナスの方向に向けてしまいます。しかし、「あきらめる」という言葉の、プラス面を見て、その意味での「あきらめる」を実行したならば、人生は確実にプラス方面に進みますよ。

では、「あきらめる」という言葉の、「プラス面」とは何か。それは、「執着しない」ということです。これをもう少し深堀りして言うと「コントロールできないことを手放す」ということです。

★ ★ ★

物事には、コントロールできることと、できないことがあります。そうした場合、往々にして人は「コントロールできないこと」にいつまでも執着して、苦しんでしまう傾向があります。

これは、とても不毛なことですよね。なぜなら、それは文字通り、「コントロールできない」のですから。なので、それを全て手放す。これこそがプラスの意味での「あきらめる」ということなのです。

そして、「コントロールできること」をひたすら追求してみる。その部分についてはあきらめないで、続けてみる。

人生のマスターは、自分の人生を自由にデザインできます。実はその「からくり」は、「コントロールできることにひたすら、注力している」ということだったりするのですよ。

誰でも、心がけしだいでできることですよね。

人生って、案外簡単なものなのに、勝手に自分で難しくしちゃっている人が多いです。「コントロールできないことにこだわる」。これは、人生をムダにハードモードにしてしまう考えです。

もっと楽に、あなたの可能性をふんだんに、引き出していきましょう!

あなたはもっともっと、幸せになる。それはもう、確定しています!

 

あなたは、世界と一体になることで、もっと幸せになれる。「分離思考」から脱却しよう!

分離の意識

 

人は、世界と自分を分離させることで、「自分」というものを認識しています。
しかし、本来なら、世界は「ワンネス」であり、「世界」と「自分」は分離していないのです。

つまり、世界と自分は「一体」なんですね。

たとえば、野生動物は世界と自分を分離させて考えてはいません。

野生動物には複雑な「感情」はなく、あくまで「快」「不快」という根源的な感覚にもとづいて生きています。

「快」は、自分を進化・成長させることを促すための感覚です。
「不快」は、自分の身を守るためにある感覚です。

これら「快」「不快」という感覚は、世界と一体でありつつ、自分という存在が進化・成長していくための必要最低限の感覚です。

★ ★ ★

しかし、人間はそれらの単純な感覚だけでなく、複雑な「感情」や「意志」を持っています。

それらの「感情」や「意志」がモチベーションとなって、独自のものをこの世界に生み出すことができます。
たとえば、飛行機・パソコン・建造物などですね。

これらを生み出す複雑な「感情」や「意志」は、「自我」とも言い換えられます。

この「自我」によって、人間は独自のものをこの世界に生み出し、個々人が独自の生き方を模索できるようになったわけですね。

これにより、この世界にさらなる「多様性」が生まれました。

しかし、これには弊害がありました。

それこそが、「分離」の意識です。

★ ★ ★

つまり、前述のとおり、本来なら、世界と自分は一体であり、分離はしていません。
なのに、人間はつい、「世界と自分は分離している」と勘違いしてしまうんですね。

「分離」は、「自然の摂理」に反したことです。

どんなことでもそうですが、「自然の摂理」に反すると、物事がスムーズにいきません。

たとえば、「自然の摂理」のひとつである「万有引力」。

「万有引力」に逆らって何かをしようとすると、とても苦しい結果になりますよね。

スポーツで言えば、「引力に逆らった動き」より、「引力に沿った動き」の方が自然だし、うまくいきます。

でも、人間は、生きるうえで、ついつい、「分離の意識を強める」という、「自然の摂理に反したこと」をしてしまうわけです。

その結果、常に不安にさらされて生きることになってしまうんですね。

★ ★ ★

では、どうやって生きればいいのでしょうか。

それは、「分離の意識」を極力、取り除くことです。

具体的には、

・嫉妬心
・傲慢な心
・卑屈な心

これらの心が生まれたときに、まず「自分は今、世界と分離させて考えてしまっている」と気づくこと。

この習慣をつければ、分離の意識はだんだん、薄まっていきます。

そして次にするべきことは、

「利他心」

を発揮させることです。

これには、「分離」に偏りすぎた自分の意識を、「ワンネス」に揺り戻す意味があります。

★ ★ ★

人間は、「分離の意識」があまりに強いと、

・他人に与える=自分のものが失われる

と考えてしまいます。

しかし、本来、世界はワンネスなのですから、

・他人に与える=自分に与える

が正しいのです。

たとえば、

・誰かの仕事を、自分にできる範囲で手伝ってあげる。

こうすることによって、

・「お金」

という対価を得ることができます。

仮に、無償のボランティアとして手伝ったとしても、

・経験
・プラスの感情
・感謝の気持ち

などを受け取ることができます。

そうすれば、それがエネルギー源となって、生きる力が増幅していきますよね。

こうやって、世界と一体となりながら、エネルギーを循環させつつ、自分を成長させていくのが、「本当の自分」としての生き方なのです。

つまり、

・ワンネス的な生き方

ですね。

あなたは、もっともっと、幸せになります。
それだけのポテンシャルも、十分にあります。

頑張っていきましょう!

 

ADHD・アスペルガー症候群だと自分をカテゴライズすることのデメリット

ADHD アスペルガーだと自分をカテゴライズすることのデメリッ

 

よく、「私はADHDだ」とか、「私はアスペルガー症候群だ」と自分をカテゴライズしている人がいます。

こういうことには、大きなデメリットがあります。

今回は、2つに絞ってお話します。

★ ★ ★

ひとつ目のデメリットは「ADHDやアスペルガーであることが『セルフイメージ』になってしまう危険性」があることです。

人生を生きるにおいて、どんな人でも、なんらかの「セルフイメージ」を持っています。

その「セルフイメージ」が、人生を決めます。

たとえば、アーティストの矢沢永吉さんの有名な言葉に、以下のものがあります。

「ボクは別にいいんだけど、YAZAWAがなんて言うかな?」

これは、矢沢永吉さんが「YAZAWA」というセルフイメージを持って生きていることを示しています。

「YAZAWA」とは、みんなが知っている、あの「YAZAWA」です。

才能あふれるアーティストであり、器が大きく、どんな逆境もはねのける、あの「YAZAWA」です。

矢沢さんも、うまくパフォーマンスできなくて悩んだり、小さなことにクヨクヨしそうになったりしたことはあるでしょう。

しかし、セルフイメージとして「YAZAWA」を掲げているため、そのイメージに引っ張られるようにして、さまざまな困難をはねのけたのだと思います。

では、もしあなたが、

「私はADHDだ」というセルフイメージを持っていたらどうなるでしょうか?

「ボクは別にいいんだけど、ADHDとしての自分がなんて言うかな?」

と常に自分に問い続けながら生きる人生になる、ということになります。

つまり、人生のあらゆる局面で、

・いかにも「ADHDらしい行動」を選択していくということになります。

★ ★ ★

ふたつ目のデメリットは、「他責思考になってしまう危険性」があることです。

つまり、人生で辛いことがあったときに、それを「自分の責任」だと考えずに「ADHDのせい」ということにしてしまうということです。

これの何がまずいか、というと、「自分の責任」だと考えると、自分でコントロールできますよね。

・次からはこうしてみよう

というように、創意工夫ができる、ということです。

でも、「ADHDのせい」ということにしてしまうと、自分で創意工夫できる余地がなくなってしまいます。

できるとすれば、「ADHDを治す」ことくらいです。

他責思考の人は、自分で創意工夫することをしないので、常に人生の主導権が他人に握られてしまいます。

・会社のせいで行動できない
・家族のせいで行動できない
・友達のせいで行動できない

・・・というように。

これは、自分の人生の主導権が「会社や家族や友達」に握られている状態です。

これと同じように、

・ADHD、アスペルガーのせいで行動できない

としてしまったら、もう、自分では何もできなくなってしまいますよね。

人生の主導権が「ADHD・アスペルガー」に握られてしまっていることになります。

★ ★ ★

以上、説明してきたとおり、自分を「ADHDだ」「アスペルガー症候群だ」とカテゴライズしてしまうことには、大きなデメリットがあります。

なので、ここは気を付けていきたいところですね。

あなたはもっともっと、幸せになる存在です。

自分にマイナスのイメージを植え付けず、もっともっと、大事にしてあげてください。

頑張っていきましょう!

<追記>

なお、私は精神科で10年以上前に、「アスペルガー症候群のグレーゾーン」だと診断されています。なので、私自身も一時期は、自分を「アスペルガー」だと決めて生きていた時期があります。

しかし、今はその危険性がわかっているため、必要以上に気にしないことにしています。

その結果、今は「アスペルガー的」な性格特性はほとんどなくなっています。